2013年11月5日火曜日

那須与一、引き絞って矢を放つ

那須与一、引き絞って矢を放つ

 僕は、河合隼雄Hayao Kawaiを殺したかもしれない。確証はないのであるけれども。2006年に河合のウソツキ退職について批判していた。するとその年の8月に、河合は脳梗塞で倒れたのである。無論、僕の攻撃が功を奏したのかどうかは分からない。
別の原因があったのかもしれないし、単に加齢のためだけかもしれない。しかし、それは文化庁長官の在任中の出来事であった。僕の批判が原因である可能性も否定し去ることはできないであろう。
 今、同じことを狙う。氏原寛Hiroshi Ujiharaは、長年それで飯を食ってきたロジャーズ派を裏切って、ユング派に寝返った。これだけをとってしても、この男は到底信頼することのできない人物であることが分かる。そればかりではない。そもそもカウンセラーなるものは、自己の拠って立つ立場を変えてはならないのである。宗旨替えしてはならないのである。何故なら、カウンセラーが宗旨替えをしたならば、宗旨替えをする以前の仕事が詐欺犯罪行為にすぎなかったことを自ら認め、公言したことになってしまうからである。要するに、ユング派に鞍替えした時点で転職すべきであったのである。カウンセラーの職にしがみついていてはいけなかったのである。それを未練たらしく、その職にしがみついているものだから、河合のように詐欺によって後年、手ひどいしっぺ返しを食らうことになってしまうのである。どうせ生涯の職業を、自分で決めることができないで、赤の他人に決めてもらっていた大人になれない低レベルな人物ではないか(氏原寛著『カウンセリングの枠組み』ミネルヴァ書房刊。14頁)。何故、拘る必要があるのか。
 そんなことだから、心理学関連?の自分の著書(氏原寛 前掲書)で、作家になりたいなどという訳の分からぬ戯言を抜かすようになるのである。中学生の作文かと思うような下手糞なひどい文章を書いておりながら作家になりいとは何ごとか。恥ずかしくないのか。
 また書名は忘れたが、自分の著書の中で、「カウンセリングを受けている」と書いている。カウンセラーがカウンセリングを受けるのは、当たり前ではないか。つまり、スーパービジョンとか教育分析と言われるものである。ここで、「カウンセリングを受けている」と言っているのは、スーパービジョンや教育分析のことではない。字義通りのカウンセリングなのである。それは、そうだろう。詐欺犯罪を犯しておれば、やっていけなくなることは目に見えている。そうして、それを自分の心理学関連の著書で言っているところが異常である。
 これが黄金の矢である。河合隼雄のように脳梗塞になって引っくり返って植物人間にでもなったらどうだ。それが世のため人のためになるではないか。

 矢ごろ少し遠かりければ、海の中一段ばかり打ち入れたりけり。
南無八幡大菩薩、願はくはこの矢はづさせ給ふな。
 光の矢ではなく、黄金の矢をつがえる。那須与一、引き絞って矢を放つ。


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