幻想の黒いオルフェ
「自らの手で葬り去る」の中の子どもの頃に胸の中で高鳴っていた音楽に、『黒いオルフェ』の「カーニバルの朝」を加えたい。どうした訳か忘れていた。他にも2・3曲まだ忘れているものがあるかもしれないが、面倒くさいから今はやめておく。
映画の中では、男がギターの弾き語りでこの歌を歌っていると、隣に住んでいる娘が思わず曲に合わせて舞うのだった。
僕はこの美しい曲を、ジャズ風にアレンジした。ただ、作曲者には失礼かもしれないが、メロディラインを少しいじった。上昇するところを下降に、下がっていくところを上昇するようにした。だから、変奏曲と言ったほうがよいのだろうか。静かで美しいこの曲を、情熱的な曲にしてみたかったのである。歌うのはサッチモの声だ。賑やかな演奏にしたい。ピアノが、歌手の旋律を奪い取ってしまうところもある。前半部分は、原曲そのままで静かに歌われる。そして、途中から賑やかになってジャズのようになる。
“Fly me to the moon”も、日本の歌謡曲風に変奏した。メロディラインを変えたのは、「月に連れてって」ではなく、「君を月に連れて行こう」にしたかったからである。前半は原曲通りに、中間部が日本の歌謡曲風になり、とても賑やかになる。パーカッションに木魚を使いたいのだけど、どこかからクレームがつくかな。そして、後半部はオーケストラの演奏になる。宇宙旅行のような感じにしたい。宇宙船の操縦席の窓から、星々が次々に左右の後方へ流れていくのが見えるような宇宙の旅である。助手席には君がいる。向こうには、銀河が横たわる。そして、その遙かかなたに新世界が現れてくる。“幻想のFly me to the moon”である。なお、「前半は原曲通りに」と書いたが、「原曲」とは、フランク・シナトラの歌のことである。本当の原曲は、JAZZであるようだが、長い間このことを知らなかった。フランク・シナトラの歌のイメージが強すぎた。また、この変奏は、3部構成になったが、「バッハとブラームスとワーグナー」でタンホイザー序曲について述べた3部構成とも混同しないでもらいたい。「呈示の変容」ではない。あくまでも原曲に敬意を払っているつもりである。以上の2曲とも、僕が歌手になっていたら、当然レパートリーに加えていただろう。
僕は20曲以上の曲を今までに作ってきていると思う。歌曲数曲、オーケストラのための小品数曲、ピアノ協奏曲1曲(第一楽章の第一主題のみ)、現代音楽風の不協和音の曲1・2曲、ニューミュージック風の歌10曲程度。しかし、これらの曲を発表するわけにはいかない。ユング派心理学という忌まわしい集団が、芸術の門外漢のくせに芸術を分かったような顔をし、芸術創造の源泉を突きとめたのだと豪語して、芸術の創造の助力をするようなふりをして、邪魔しようとする。また、芸術家を自称する偽者が、ユング心理学に立脚して作品を作り上げたとしている。そして、真の芸術を押しのけている。このような状況では、芸術はやがて息絶えてしまう。それに抗議するためにも、僕は、僕が作り上げた作品を発表することなく、ひとりで墓場まで持っていくことにする。小説1本(アウトラインのみ)も同じだ。いわば抗議の焼身自殺みたいなものだ。どうもユング派に付け狙われているらしいと感じたときから、曲を作らないようにしている。自然に湧いてくるものは仕方がない。しかし、それも忘れることにしている。 こんなことがなかったら、もっとたくさんの曲を作れただろう。
20歳前後のときに、よく似た曲を2曲作った。やや曲調は似ているが、表現するものは全く違う。どちらもオーケストラによる間奏部分が重要になっていて、間奏が結構長い。ひとつはバリトンに歌ってほしい。愛の成就、もしくは愛に至る道程がテーマである。もうひとつは子守唄風である。アルトかソプラノに歌ってほしい。世界中の、目に涙をいっぱいためている子どもに贈りたい。でも、僕はこれらの曲を贈ることができないのは、先ほど述べたとおりである。
ごめんね。おじさん、歌ってあげることができないのだよ。そのかわり、誰かに、ドボルザークの「わが母の教えたまいし歌」を歌ってもらってから、お休み。ちょっと難しいかもしれないけど。おじさんはね、ドボルザークのおじさんには、とてもかなわないのだよ。
0 件のコメント:
コメントを投稿