2013年11月3日日曜日

佇立する安寿

佇立する安寿

 自我が芽生え、次第に力をつけ成長していこうとするとき、目の前に巨大な障壁があることを認め、目を見張る。そして愕然とする。この障壁、自分ひとりの力では、とても乗り越えられそうにない。どうしても己れの分身に越えてもらわねばならぬ。その場合、自分は生きていることができない。
 「二人の子供が話を三郎に立聞きされて、その晩恐ろしい夢を見たときから安寿の様子がひどく変わってきた。顔には引き締まったような表情があって、眉の根には皺が寄り、目ははるかに遠いところを見つめている。そして物を言わない。」
 安寿は、計画を断行する。「安寿はけさも毫光のさすような喜びを額にたたえて、大きい目をかがやかしている。しかし弟の詞には答えない。ただ引き合っている手に力を入れただけである。」「姉は胸に秘密を蓄え、弟は憂えばかりを抱いているので、とかく受け応えが出来ずに、話は水が砂に沁み込むようにとぎれてしまう。」
 「安寿はそこに立って、南の方をじっと見ている。目は、石浦を経て由良の港に注ぐ大雲川の上流をたどって、一里ばかり隔った川向いに、こんもりと茂った木立ちの中から、塔の尖の見える中山に止まった。そして『厨子王や』と弟を呼びかけた。『わたしが久しい前から考えごとをしていて、お前ともいつものように話をしないのを、変だと思っていたでしょうね。もうきょうは柴なんぞは苅らなくてもいいから、わたしの言うことをよくお聞き。」

   ― ― ― ―

わたしが死んでも、わたしの魂は厨子王に乗り移る。そして、最後まで厨子王を守り、やがて、あの邪悪な山椒大夫の一家を訴え出て懲らしめてやるのだ。

さあ、厨子王。ここですべてをお前にバトンタッチするよ。だから厨子王、勇気をもってこれをやり遂げなさい。

 自分はもうこの世にいてはいけないのだ、と覚った少女は、わずかに残された時間を「泉の畔に立って」過ごす。名もない草花に目をやり、木々の緑を眺め、大空を見上げ、鳥の声に耳を澄ます。作者・鷗外の慟哭が聞こえてきそうである。それでも外は、ごくあっさりと、素っ気ないくらいに、「幸いにきょうはこの方角の山で木を樵る人がないと見えて、坂道に立って時を過す安寿を見とがめるものもなかった」と書いているだけである。
 
 森鷗外は、日本で最高の文学者である。
  (森鷗外『山椒大夫』から)

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