魂に至る道
魂はどこにあるのだろうか。魂とは、どのようなものだろうか。魂に至るには、どうすればよいのだろうか。自分は、魂に至り着くことができるのだろうか。これらの疑問は、すべてその人自身が自分の力で答えを求めるものでしかない。他者に頼ってはならぬ。そんなことには全く興味がない、ということであれば、それもまた結構。とにかく、このような問いを一般化し、普遍化して恰も科学であるかのようにしてはならない。この問いについて、万人に適用できる答えをみつけようとしたとき、その方法でたどり着く地平は荒野である。花も咲かない。実もならない。ただただ、寒々とした荒れ地が広がり、冷たい風だけが通り過ぎる。このような愚かで無謀なことを行ったのが、C・G・ユングである。自分自身の個人的な(にもかかわらず、万人共通の道程であると考えた)、魂に辿り着く道を見つけようとした。ところが、辿り着いたのは魂ではなくて、それと区別することが困難な“悪魔”であったことは前に述べたとおりである。全体主義に陥ってはならないのである。あくまでも個人主義を徹底しなければならない。これを志そうとしたひとりの個人のみが、持っているすべてを賭けて細道を辿るのでなければ、とんでもないところに行き着いてしまう。それは魂の偽物である。そうして、こうした個人の秘密を盗み見しようとする者こそが悪魔である。
0 件のコメント:
コメントを投稿