2013年11月2日土曜日

心の映画

心の映画

 『心の旅路』は、僕にとって心の映画と言ってもよいだろう。それからチャップリンの映画も、そう呼んでよさそうである。『心の旅路』を初めて観たのは、小学生の高学年か中学生ぐらいのときだった。NHKが放送していたのである。それからずっと心に残っていて、もう一度観たいと願っていた。DVDのない時代である。そして、数年後にNHKが再び放送してくれた。それから、また十数年後に、今度は映画館で観ることができた。
 白黒の古い映画である。壮大なメロドラマというのが大方の受けとめ方であるようである。しかし、この映画は単なるメロドラマではないと思う。
 余計なことかもしれないが、この映画のあらすじを以下に記しておく。この物語を短く要約するのはとても難しい。紆余曲折があって、ストーリーが複雑だからである。しかも古い記憶に頼らなければならないので、細部において、間違いがあるかもしれない。

 第1次大戦中、男の近くで爆弾が炸裂し、男は記憶喪失になった。病院に収容されていた男は、ある夜、病院を抜け出した。煙草を買おうと立ち寄った煙草屋で、ポーラという娘から、追手が来ていることを教えられる。男とポーラは手を取り合って逃げ、ふたりで田舎で暮らすことにする。男の名前を、仮にスミスと名付けた。そして夢のような月日が流れた。スミスは文筆業を仕事にする。記憶喪失になる前は作家だったかもしれないね、とふたりは話し合った。
 新聞社から仕事の依頼があり、スミスはリバプールへ出かけた。新聞社へ行く途中、スミスは車と接触して路上に倒れ、頭を打った。その時、スミスは失くしていた記憶を取り戻し、かわりにポーラと一緒に暮らしていた記憶喪失期間中の夢のような記憶を失ったのである。つまり今度は、ポーラやポーラと暮らしていた家のことなどが、すっかり分からなくなったのである。
 スミスは、高名な実業家の跡取りだった。数日前に父が亡くなっていて、スミスは父の会社の経営を引き継いだ。スミスという名前も忘れてしまっていて、ここから本名になっている。そして、てきぱきとした有能な実業家になった。画面に映る秘書の顔を見て驚く。ポーラである。ポーラは、行方不明になったスミスが、記憶を取り戻して著名な実業家になっていることを新聞で知った。そして、会社が秘書を募集していたので、名前を変えて応募していたのである。スミスは、秘書のポーラが誰なのか、分からない。けれども、とても信頼している。
 そのうちに、スミスの縁談がまとまった。ポーラが、スミスとの愛の生活のことを打ち明けようかどうしようかと思い悩む日々が続く。そうしているうちに、スミスの婚約者は、スミスと一緒にいてもスミスが、自分ではなくどこか遠いところを見つめているのに気がつく。その表情から、ここに愛はないことを覚った婚約者は、スミスから去って行く。
 月日が流れた。スミスは、今度はポーラに求婚した。ただし、これは愛するが故のプロポーズではなく、実業家としてのスミスの良きパートナーになってほしいという意味の求婚だった。ここでもポーラは傷つき思い悩むが、結局受け入れることにする。ふたりの結婚生活は、愛のない、ただ実利だけのための結婚生活だった。そのうち、スミスは国会議員にもなり、スミスとポーラは、理想的な夫婦と世間に思われているが、実際には形式だけの二人だった。
 そうしているうちに、二人が出会った煙草屋のある町のスミスの会社で、ストライキが起きた。スミスは、社長としてストを収束させるために出かける。無事ストを収めたスミスは、町を歩いている。ふと足を止めて、一緒にいた社員に、
「あの角のところに煙草屋があるから、買ってくる。」
と言う。
「社長、この町は初めてではないのですか?」
「ああ。初めてだよ。」
「それなら、社長。どうしてあの角に煙草屋があることを、ご存じなのですか?」
このような会話を通じて、少しずつスミスの記憶が頭をもたげてきたようである。あの交通事故以来、何の鍵だか分からないながらも、いつも持っている鍵をじっと見つめる。交通事故の日に宿泊していたホテルに足を向ける。そして、自分の名前、当時住んでいた家などを教えてもらう。
そのとき、ポーラもスミスの行動を人から教えてもらって、ふたりの思い出の家へと足を急がせている。
 スミスは、ポーラと暮らしていた家の前に立っている。庭には花が咲き、小川が近くを流れている。おそるおそるあの交通事故以来、いつも持っている鍵を扉のカギ穴に差し込む。ぴったりと合った。ドアを開く。その時、駆けつけてきたポーラが、「スミスィ」と叫ぶ。スミスは振り返って微笑み、「ポーラ」と答える。ふたりは駆け寄り、抱き合う。

 以上が、この映画の梗概である。確かに、メロドラマと評されても仕方がないかもしれない。
 スミスの人格は、てきぱきとした実業家の人格から、どこか夢見るような文筆家の人格へと移行したのだろうか。それとも、両者は統合したのだろうか。

 もうひとつ、挿入曲がとても好きな映画がある。『男はつらいよ』、寅さんシリーズである。おそらく、山本直純の作曲だろう。寅さんが振られるマドンナが、失意や悲しみから新しい愛を見つけて歩みだすときに、決まってこの音楽が流れる。僕は、この曲を聞きたいために、何度も何度も映画館に足を運んだのだろうか。魂の匂い、という表現はおかしいだろうか。魂の揺りかごに揺られているような感じ、とでも言おうか。


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