2013年11月20日水曜日

酵素の話

酵素の話

 中米のある国の人に尋ねると、次のように答える人がいるそうである。
「病気になったら、どうするのかい?」
「病気になったら、死ぬだけだよ。」
僕は、この言葉に共感を覚える。ただし、この国の人は、ただ単に病院に行くお金がないから、このように言っているだけかもしれないけれども。現代医学をごみ箱に捨ててしまったら、困るではないかと考えている人に申し上げる。僕は僕なりにその代替案を考えて、かつ、自分で実行している。

 もしも僕が、命に関わるような病気に罹ったとしよう。そこで病院で治療を受けたとする。なんとか命だけはとりとめた。ところが、その治療法が、人体実験から得られた知見をもとにして確立されたものであるならば、僕は、その後の人生を拒否しなければならないのではないだろうか。そうしなければ、悪魔の眷属になってしまうではないか。

 イヌイット(エスキモー)の人々は、病気にならない。エスキモーの人々が食べているのは、トナカイやアザラシの生肉ばかりである。現代の都会人は、そんなひどい食事でよくも病気にならないものだと感じるだろう。ところが、そうではないのである。
 人間は、食べ物を煮炊きしたり焼いたりして食べるようになったから病気になるようになった、というのが酵素の仮説である。食べ物には、本来それ自身酵素が含まれている。ところが、加熱調理することによって、その酵素が働かなくなる。摂氏40度ぐらいで働かなくなるそうである。食品自体に含まれる酵素が働かなければ、人間は食べ物を消化するために、自分で酵素を作り出さなければならない。しかし、人間が自分の体の中で作り出す酵素は、その分量が限られている。あまり多くないらしい。その貴重な酵素を消化に振り向けてしまうと、酵素のその他の働き、例えば病気とい打ち勝つための働きにおいて、酵素が手薄になってしまうのである。人間は、このようにして病気にかかるようになった(以上、書名・著者名を忘れてしまったが、アメリカかヨーロッパの著者が書いた本の要約である。「酵素の話」というような書名だったかもしれない)(この本の日本語訳は、もう絶版になっているようである。僕は、図書館で借りて読んだ。だから、図書館には所蔵しているところもあるはずである。何者かが、この本が売れて、よく読まれるようになるのを邪魔していたのでないならよいが)
 僕は、この仮説は正しいと思う。昨年の5・6月頃に、大病と呼んでもよさそうなものを経験した。突然めまいに襲われ、激しい吐き気を伴った。こうなると何もできない。ただただ、寝ているしかないのである。こういうことが、2度起きた。特に、めまいが恐い。もしかしたら、もう駄目かなと思った。若い頃からの持病である甲状腺機能亢進症が悪化したものと考えられる。そこで、上述の書物に出会って酵素を飲みだすと、3か月ぐらいで具合がよくなった。その後、酵素を飲んでいる限りは、めまいや吐き気はなくなった。僕は、大高酵素を愛用している。食後に飲むのが一番良いのではないかと思う。
 言っておくが、酵素は薬品ではない。味噌・醤油や納豆と同じ自然食品である。種々の野菜・果物やキノコを時間をかけて丁寧に発酵させたものである。だから、味噌・醤油・納豆にも酵素は含まれている。そして、刺身は酵素の非常に多い食品である。やはり日本食は、世界に誇るべき食文化である。ただし、みそ汁や煮物は酵素という点では、加熱するわけだから役には立たない。みそ汁や煮物が優れた食品でないということではないが。また、バナナ・アボカド・パパイヤも酵素が多い。それなら、生野菜のサラダを食べればよいではないかと考えるところだが、残念ながら野菜にはあまり酵素は含まれていないそうである。
 酵素は、僕のようなホルモン系の疾患、消化器系、循環器系等のほとんどあらゆる病気に有効で、予防になると考えられる。ただし、インフルエンザや病原性大腸菌による感染症には、あまり関係がないだろう。それでも、感染症にかかりにくくなるという効果ぐらいは期待できるかもしれない。
 しかし、この酵素については、医者達がこれまでも、また今後も、その効力を否定するような手段・策をとるであろうと考えられる。自分たちの商売に影響するからである。もう赤ひげのような医者が出てくることはないだろう。人を踏み台にして金儲けしてやろうと考えているやつらばかりである。

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