2013年11月29日金曜日

七の矢

七の矢

 この矢は、河合敏雄Toshio Kawaiを狙う。親父(河合隼雄Hayao Kawai)の七光りで京都大学教授になった。が、あまりにもお粗末すぎる。著書を拾い読みしても、到底、ものの役に立たないことが分かる。無能なくせに、親父が虚飾によって手に入れたものを相続するな。無能な者がその地位にしがみつくのは、社会にとって害悪である。京都大学は本当に一流大学なのか。三流大学か四流大学がやりそうなことを行っている。それとも親父が払わなかったをツケを、代わりに払ってやろうというのか。中々、いい心掛けではないか。どのような形で払うのかい?
 せっかく親父のツケを払いたいと言っている者に、わざわざ矢を射かけることもないかもしれない。しかし、こいつらは、とにかく卑怯なやつらなのである。反省しているふりをして、逃げ道をちゃんと用意することなど、お手の物だ。やはり、徹底的に打ちのめしておかなければなるまい。
 
 無能な者がその職にしがみついているのは、その所属する大学にとって、ひいては社会にとって寄生虫のようなものである。大学教授の本分は、研究することである。ところが、研究業績をあげる能力がない。そこで、別の方面の能力を発達させた。政治的手腕や駆け引きの方面である。研究業績をあげる能力がないものだから、いつ大学を追われるかわかったものではない。それで、他の教授の御機嫌をとることに精を出すことになる。どうして、このような寄生虫がいるのだろうか。それは、大学教授の採用の仕方に問題があるからである。先任の教授が、自分の後継者を決めるにあたって、実質的に力がありすぎるのである。形式的には、会議によって決めてはいるのであるけれども。つまり、教授が、自分の座っている椅子を私物化しているということである。古狸の教授が無能な人物であった場合、その後継者に指名しようとする人物も、やはり無能な人物になりがちである。古狸の教授は自分の後釜に、有能ではあるけれども気に食わない人物ではなく、無能ではあるけれども自分に媚び諂う愛弟子を指名しようとする。このようにして、再び何の研究業績もあげられない、人の御機嫌を取ることに一生懸命になっている教授が誕生することになる。こうして、そんな教授が所属する大学は次第に萎んでいく。それは、やがては日本全体の地盤沈下へとつながっていくだろう。

2013年11月28日木曜日

六の矢

六の矢

 隆盛を誇っていたロジャーズ派が廃れ、それにユング派が取って代わったということは、相当な数のカウンセラーが宗旨替えをしたということになる。そもそもカウンセリングとは、ロジャーズ(C・R・Rogers)の来談者中心療法(Client Centered therapy)こそが典型である。これ以外は、カウンセリングと呼ぶことはできない。ところが、多くのロジャーズ派のカウンセラーは、いかがわしい邪教・偽宗教(ユング心理学)に走ったのである。

 「四の矢、ではなくて」の最後の部分に、少々付け加えた。

2013年11月27日水曜日

五の矢

五の矢

(昨日の四の矢と同文)

 「那須与一、引き絞って矢を放つ」でターゲットにしたのは、氏原寛だけではない。1990年代頃まで、日本ではロジャーズ派が隆盛だった。カウンセラーは、ロジェリアンだらけであったのである。ところが、その後、ロジャーズ派にユング派が取って代わるようになった。ということは、ロジャーズ派からユング派に鞍替えしたカウンセラーが、相当数いるということになる。このカウンセラー達は、すべて宗旨替え以前に詐欺行為を働いていたことになる。さらにロジャーズ派に立脚してカウンセラーになったということは、ロジャーズの来談者中心療法によってアイデンティティを確立したということである。そのロジャーズ派を裏切ることは、自己のアイデンティティが根こぎにされたに等しい。カウンセラーの資格はない。転職すべきであった。これらすべてのカウンセラーを、まとめて串刺しにする。それが、「那須与一、引き絞って矢を放つ」の趣旨であった。
 電子的な辞書を検索するソフトに、串刺し検索というのがある。ある単語の意味を、いくつもの辞書で同時に見ることができるものである。串刺し検索とは厭な言葉だ。しかし、犯罪人どもを、縦一列に並べて串刺しにしてやろうではないか。

2013年11月26日火曜日

(すこし抜け落ちていた)(パソコン、具合悪い)四の矢(串刺し)

四の矢(串刺し)

 「那須与一、引き絞って矢を放つ」でターゲットにしたのは、氏原寛だけではない。1990年代頃まで、日本ではロジャーズ派が隆盛だった。カウンセラーは、ロジェリアンだらけであったのである。ところが、その後、ロジャーズ派にユング派が取って代わるようになった。ということは、ロジャーズ派からユング派に鞍替えしたカウンセラーが、相当数いるということになる。このカウンセラー達は、すべて宗旨替え以前に詐欺行為を働いていたことになる。さらにロジャーズ派に立脚してカウンセラーになったということは、ロジャーズの来談者中心療法によってアイデンティティを確立したということである。そのロジャーズ派を裏切ることは、自己のアイデンティティが根こぎにされたに等しい。カウンセラーの資格はない。転職すべきであった。これらすべてのカウンセラーを、まとめて串刺しにする。それが、「那須与一、引き絞って矢を放つ」の趣旨であった。
 電子的な辞書を検索するソフトに、串刺し検索というのがある。ある単語の意味を、いくつもの辞書で同時に見ることができるものである。串刺し検索とは厭な言葉だ。しかし、犯罪人どもを、縦一列に並べて串刺しにしてやろうではないか。

2013年11月25日月曜日

魂に至る道

魂に至る道


 魂はどこにあるのだろうか。魂とは、どのようなものだろうか。魂に至るには、どうすればよいのだろうか。自分は、魂に至り着くことができるのだろうか。これらの疑問は、すべてその人自身が自分の力で答えを求めるものでしかない。他者に頼ってはならぬ。そんなことには全く興味がない、ということであれば、それもまた結構。とにかく、このような問いを一般化し、普遍化して恰も科学であるかのようにしてはならない。この問いについて、万人に適用できる答えをみつけようとしたとき、その方法でたどり着く地平は荒野である。花も咲かない。実もならない。ただただ、寒々とした荒れ地が広がり、冷たい風だけが通り過ぎる。このような愚かで無謀なことを行ったのが、CG・ユングである。自分自身の個人的な(にもかかわらず、万人共通の道程であると考えた)、魂に辿り着く道を見つけようとした。ところが、辿り着いたのは魂ではなくて、それと区別することが困難な“悪魔”であったことは前に述べたとおりである。全体主義に陥ってはならないのである。あくまでも個人主義を徹底しなければならない。これを志そうとしたひとりの個人のみが、持っているすべてを賭けて細道を辿るのでなければ、とんでもないところに行き着いてしまう。それは魂の偽物である。そうして、こうした個人の秘密を盗み見しようとする者こそが悪魔である。

2013年11月24日日曜日

心の中の女性像は魂ではない

  ユング心理学では、女性像を魂であると考えているふしがある。animaを魂と結びつけて考えているようである。しかし、心の中の女性像は魂ではない(「心の中の女性像」を参照)。心の中の女性像は、幼い頃からの経験が蓄積され、消化されて形成されたものである。集合的無意識などという訳の分からない妄想体系を構築するから、いかれた集団になってしまったのだ。集合的無意識などというものは絶対にありえないことを、理論的に証明することができる。ユング心理学では、魂の所在地を集合的無意識と考えている。
 ユング心理学における集合的無意識は、絶対に変化してはならぬものである。それは単純に考えても、容易に理解できるだろう。もしも集合的無意識が変化するとしたならば、それはもはや集合的無意識と呼べるような代物ではないのである。Aさんの集合的無意識とBさんの集合的無意識とが違うものであったら、そんな集合的無意識なんかは、まやかしである。Aさんの集合的無意識とBさんの集合的無意識とは、必ず同じものでなくてはならない。
 ところが、集合的無意識は絶対に変化しないとすると、実に奇妙なことになってしまうのである。進化論の立場から考えてみよう。そもそも人類の集合的無意識なるものは、いつ形成されたのか。サルから進化して、ヒトになった時か。人類がある日、ヒトになった。その日に突如として集合的無意識なるものが形成されたのか。そんな馬鹿な話を誰が信じよう。これは絶対に、人類がサルであった頃から、集合的無意識には連続性があって、人類と同じものがサルの心の中に存在していたと考えなければならない。そうすると、どんどん遡っていくと、アメーバのような原生動物にも集合的無意識が存するということになってしまうのである。しかも原生動物の集合的無意識も、人類のそれと同様、複雑で高度の内容を持ち、アメーバの夢の中には元型としての影やアニマやアニムスや老賢者が現れてくるということになる。このようなことを、誰が信じようか。
 生物種が違えば集合的無意識も違うのだとしても、それは進化の過程において集合的無意識が変化することを意味している。集合的無意識が変化すれば、もはや集合的無意識と呼べる代物ではない。集合的無意識が恒久的に不変のものであるとすると、地球上のすべての生き物の集合的無意識は同じであるという奇妙なことになってしまう。
 それでは進化論の立場を捨ててみよう。進化論は、キリスト教的世界観に対するアンチ・テーゼとして主張されたものである。そこで、キリスト教的世界観に立脚すると、神が世界を創造し、人間を創造したときに、集合的無意識なるものを人間に賦与したことになる。ところが、ユング心理学には神の概念がないのである。あるのは、神より上の概念なのである。それは、まさに集合的無意識や自我の領域の中心点である。そうすると、何が何だか分からなくなってきた。やはりここは、集合的無意識などという訳の分からないものは、さっさと消えてもらおう。

 集合的無意識は、どこにもない。魂の存する場所でもない。

アレルギー

小学生の頃には、既に近眼になっていた。中学生になって初めて眼鏡を作った。眼科医に処方してもらった。ところが、どうしたわけか、ものすごい強度の度数の処方をしたのである。実際に眼鏡を作る眼鏡店の人も首を傾げていた。眼科医が言うのだから間違いはないだろう、ということで、そのまま眼鏡を作った。
これが、あだになったと思う。20歳代には既に、強度の眼精疲労、ドライアイに悩ませられた。視力が、だんだん低下しているような感じがした。この目の疲れやすさは、今まで続いている。これは恐怖を伴う。やがて、視力を失うのではないかと。目は生命線である。書物や新聞が読めない。しかし、実際には、耳で本や新聞を読むこともできるのであるけれども。誰かに読んでもらえばよいわけだ。
そこで、色々と情報を集めて自分なりに対策を考えた。まず朝起きたときに、遠くを見つめてピントを合わせる。目を使った作業をした後は、やはり遠くを3分以上は見つめる。その上で、目の周りのツボを指でマッサージする(これについては、出版物もあるし、インターネットでも情報を得ることができると思う)。目の周りの、しこりがあるところがよいのではないかと思う。それから、何と言っても休憩である。山に登るとき、ぶっ続けで登ったのでは、途中で倒れてしまう。どうしても途中で休憩をとらなければ、頂上に達することができない。目も同じである。1時間、目を使ったら、10分か15分位休んだほうがよい。今の若い人を見ていると、とにかく長時間、パソコンやスマートフォンを見続けすぎている。これでは年を取ったら、目のことで悩むことになるかもしれない。やはり休憩を心掛けるようにしたいものである。
次に、栄養である。ビタミンAとビタミンBとタンパク質であろう。ビタミンAは誰でも知っているだろうが、ビタミンBは盲点ではないだろうか。僕の経験から、ビタミンBも重要だと考えた。胡麻や豆がよいと思う。豚肉もよいだろう。ブルーベリーがよく取り沙汰されているが、これについては、よく分からない。アントシアニンという色素が悪いわけもなさそうだが、本当にプラスに働くのだろうか。
バッハは晩年のときに、失明の恐怖におびえていた。読譜をやりすぎたからだろう。日本の山本直純は、若い頃に目を患った。そのために、東京芸術大学で指揮を学んでいたにもかかわらず、作曲家に転向したのである。指揮者になると、とにかく沢山の楽譜を読み込まないといけないからである。


僕にはアレルギーがある。朝、目が覚めると、シャツの背中側に血が滲んでいることがよくあった。原因はふたつある。ひとつは、家畜の餌に混ぜられる抗生物質である。抗生物質については、ずいぶん前から分かっていた。特に卵の場合がひどい。だから、一番の好物であるオムレツやオムライスや丼物を、あまり食べることができなかった。自然食品の店で買ってきた卵なら、だいたい大丈夫である。もうひとつの原因は農薬である。農薬については、長い間分からなかった。数年前に、野菜や果物をオーガニックのものに切り替えた。それを23年間続けた。すると、アレルギー反応がぴたりと収まったのである。原発事故が起きて、オーガニックの野菜や果物のほうが放射能に弱いことに気がついたとき(「自然療法」参照)、慄然とした。玄米や全粒粉の小麦粉も大変である。どくだみ茶や杜仲茶も放射能に弱そうである。魚も、そうである。

2013年11月22日金曜日

自然療法

自然療法

 東城百合子著『自然療法』には、大きな影響を受けた。食生活や健康を考える上において、大変示唆に富む書物である。薬品や医者なんかには頼りたくない、という人にお勧めする。
 また、梅和子著『おばあちゃんの手当て食』も、コンパクトながらなかなか良い本である。但し、『自然療法』と『おばあちゃんの手当て食』の間では、相矛盾するところもある。ここは、読者が自分で考えて判断するより仕方がない。
 自然食品(薬品ではない)の中では、梅肉エキス(梅エキス)がよいと思う。青梅をとろ火で煮詰めたものである。めまい、吐き気、下痢、胃腸障害、何の熱だか分からない熱に著効がある。子どもに飲ませるに最適のものである。他にも、腹痛、胸焼け、便秘、高血圧、低血圧、心臓、腎臓、肝臓、糖尿等に効果があるらしい。ただし、これは酵素と違って根本的な改善をもたらすものではない。いわば対症療法である。
 梅肉エキスは、自然食品の店で売っている。インターネットでも購入することができるだろう。


 悲しくて残念なことがある。あの原発事故によって、オーガニックの野菜や果物のほうが普通の野菜や果物よりも放射能の影響を受けやすいことが分かったことである。例えば、堆肥は放射能に汚染される可能性があるが、化学肥料はその可能性がほとんどないと言ってよいだろう。また、玄米や精白していない小麦粉のほうが白米や真っ白な小麦粉よりも放射能の影響を蒙りやすい。糠やふすまの部分に放射能が蓄積されやすいからである。それがオーガニックのものならば、尚更のことである。さらに、たんぽぽ茶やどくだみ茶などの健康茶も放射能に弱い。魚についても、言うまでもない。やはり子どもの火遊びは、やめさせなければならない。
 悪魔どもが腹を抱えて笑っているかもしれぬ。悪魔の医者や薬剤師どもが。

2013年11月20日水曜日

酵素の話

酵素の話

 中米のある国の人に尋ねると、次のように答える人がいるそうである。
「病気になったら、どうするのかい?」
「病気になったら、死ぬだけだよ。」
僕は、この言葉に共感を覚える。ただし、この国の人は、ただ単に病院に行くお金がないから、このように言っているだけかもしれないけれども。現代医学をごみ箱に捨ててしまったら、困るではないかと考えている人に申し上げる。僕は僕なりにその代替案を考えて、かつ、自分で実行している。

 もしも僕が、命に関わるような病気に罹ったとしよう。そこで病院で治療を受けたとする。なんとか命だけはとりとめた。ところが、その治療法が、人体実験から得られた知見をもとにして確立されたものであるならば、僕は、その後の人生を拒否しなければならないのではないだろうか。そうしなければ、悪魔の眷属になってしまうではないか。

 イヌイット(エスキモー)の人々は、病気にならない。エスキモーの人々が食べているのは、トナカイやアザラシの生肉ばかりである。現代の都会人は、そんなひどい食事でよくも病気にならないものだと感じるだろう。ところが、そうではないのである。
 人間は、食べ物を煮炊きしたり焼いたりして食べるようになったから病気になるようになった、というのが酵素の仮説である。食べ物には、本来それ自身酵素が含まれている。ところが、加熱調理することによって、その酵素が働かなくなる。摂氏40度ぐらいで働かなくなるそうである。食品自体に含まれる酵素が働かなければ、人間は食べ物を消化するために、自分で酵素を作り出さなければならない。しかし、人間が自分の体の中で作り出す酵素は、その分量が限られている。あまり多くないらしい。その貴重な酵素を消化に振り向けてしまうと、酵素のその他の働き、例えば病気とい打ち勝つための働きにおいて、酵素が手薄になってしまうのである。人間は、このようにして病気にかかるようになった(以上、書名・著者名を忘れてしまったが、アメリカかヨーロッパの著者が書いた本の要約である。「酵素の話」というような書名だったかもしれない)(この本の日本語訳は、もう絶版になっているようである。僕は、図書館で借りて読んだ。だから、図書館には所蔵しているところもあるはずである。何者かが、この本が売れて、よく読まれるようになるのを邪魔していたのでないならよいが)
 僕は、この仮説は正しいと思う。昨年の5・6月頃に、大病と呼んでもよさそうなものを経験した。突然めまいに襲われ、激しい吐き気を伴った。こうなると何もできない。ただただ、寝ているしかないのである。こういうことが、2度起きた。特に、めまいが恐い。もしかしたら、もう駄目かなと思った。若い頃からの持病である甲状腺機能亢進症が悪化したものと考えられる。そこで、上述の書物に出会って酵素を飲みだすと、3か月ぐらいで具合がよくなった。その後、酵素を飲んでいる限りは、めまいや吐き気はなくなった。僕は、大高酵素を愛用している。食後に飲むのが一番良いのではないかと思う。
 言っておくが、酵素は薬品ではない。味噌・醤油や納豆と同じ自然食品である。種々の野菜・果物やキノコを時間をかけて丁寧に発酵させたものである。だから、味噌・醤油・納豆にも酵素は含まれている。そして、刺身は酵素の非常に多い食品である。やはり日本食は、世界に誇るべき食文化である。ただし、みそ汁や煮物は酵素という点では、加熱するわけだから役には立たない。みそ汁や煮物が優れた食品でないということではないが。また、バナナ・アボカド・パパイヤも酵素が多い。それなら、生野菜のサラダを食べればよいではないかと考えるところだが、残念ながら野菜にはあまり酵素は含まれていないそうである。
 酵素は、僕のようなホルモン系の疾患、消化器系、循環器系等のほとんどあらゆる病気に有効で、予防になると考えられる。ただし、インフルエンザや病原性大腸菌による感染症には、あまり関係がないだろう。それでも、感染症にかかりにくくなるという効果ぐらいは期待できるかもしれない。
 しかし、この酵素については、医者達がこれまでも、また今後も、その効力を否定するような手段・策をとるであろうと考えられる。自分たちの商売に影響するからである。もう赤ひげのような医者が出てくることはないだろう。人を踏み台にして金儲けしてやろうと考えているやつらばかりである。

2013年11月19日火曜日

訂正

訂正

「パソコン君、今日は元気ですか」の“スタートボタン”は、 “電源ボタン”の誤りだった。

 パソコンは今、僕の生命線である。これをやられたら、野垂れ死にするしかないだろう。これをもって、脅しをかけているのである。長い間である。どこまで卑怯なやつらだろうか。ずっと、こうして脅迫されていたのである、いつも、そうだった。自殺するしか仕方がないような状況に追いやってやるぞと、ずっと威されていた。

 あと1週間ほどで、このパソコンが駄目になるという脅迫は、MicrosoftOfficeに関するものである。ほとんどWordしか使っていない。その上、Excelを使うかどうかだ。だから、このサイトに関しては、おしまいになるということではない。ただし、仕事はできなくなる。

パソコン君、今日は元気ですか

パソコン君、今日は元気ですか

 突然、パソコンが変な動きをする。ある日急に、電源ボタンを押しても、うんともすんとも言わなくなる。シャットダウンしても、電源が切れないこともある。そんなことが、10日ばかり続いたこともあった。ところが、何もしないのに、ひとりでに復旧するのである。実に、いかがわしい。
 今、あと1週間ほどで、このパソコンが駄目になると脅迫されている。これは、僕としては如何ともしがたい。細々とやっている仕事さえも、できなくなる。卑劣なやつらだ。


 空を飛ぶのではなく、地に潜るゲリラ戦術をとっている。それさえも、できなくなるのだろうか。

2013年11月11日月曜日

悪魔の心理学

悪魔の心理学

 河合隼雄が、ユング心理学によって治癒していたのだとする。つまり、その個性化(individualization)を達成していたのだと仮定する。そうすると、河合はウソツキ退職という詐欺犯罪行為の償いをしないまま、個性化を果たし治癒していたことになる。だから、ユング心理学は悪魔の心理学だと言っているのである。そこで、犯罪者どもや邪悪なやつらが、この心理学に飛びつく。何と結構なものではないか。罪の償いをする必要がないとは、というわけである。そうして、このような輩が個性化を果たしたとすると、一層他に害悪を及ぼすことになるのである。河合隼雄や池田大作を見れば、それは一目瞭然ではないか(創価学会の教義はユング心理学の引き写し・模倣であるから、池田大作は個性化に類することを達成していると考えられる)。

だが、河合がウソツキ退職に対する批判によって倒れたのだとすれば、河合の治癒は本物でなかったことは明らかである。

2013年11月9日土曜日

四の矢、ではなくて

四の矢、ではなくて

 さて、どうしようかと迷った。戦略的には、引き続いて矢を放つ手もある。しかし、ここはひとまず矛を収めるのが戦略としては得策だと判断したので、このへんで弓矢をしまうことにする。因みに、悪魔の代弁者に採用してやったデエモンのやつは、相変わらず居眠り中である。

「おっさん。おっさん。」
「なんじゃい。あっ、またお前か。今度は何だ。」
「おっさん。戦略、戦略というてはりますけど、本当は戦略なんかないのとちゃうか。」
「何をぬかすか。この野郎。この俺が、戦略なんか考えつくはずがなかろう。戦略があるように見せかけるのも戦略のうちだ。死せる孔明生ける仲達を走らす、だ。現代風に言うと、死せる公明生ける自民を太らす、だ。分かったか。
「おっさん、何言うてるのかよう分からんわ。」


2013年11月8日金曜日

三の矢

三の矢

 河合隼雄が、ウソツキ退職に対する僕の批判によって倒れたのならば、これもユング心理学における治癒なるものが本物ではないということを証しするものである。ユング心理学における個性化(individualization)を果たしていないのならば、ユング派のカウンセラーになる資格はないからである。

 最近、小泉純一郎は盛んに原発反対を唱えている。何を血迷っているのだ。確かに原子力発電所なんか、なくさなければならない。しかし、お前がものを言うとな、余計に原発推進派を勢いづかせるだけなのだ。自分のレイプ事件の償いでもしていろ。

 近日中に、村上春樹が、またもや偽ブランド品を売り出すそうである。強欲なやつだ。今までに、模造品を販売して、しこたま儲けやがったくせに、それではまだ足りないと見える。今度は小型の偽ブランド品だそうだ。みなさん。こんなやつの偽物なんか買わないようにしましょうね。

畜生。ノーベル文学賞の選考委員のボンクラどもめ。今年も大作家のわいをはずして雑魚なんかにやりよって。長編は、ちょっとしんどいな。短編にしとこ。世間では、俺が落ち込んでヤケ酒をあおっていると見ていやがるだろうから、空元気を出さんとな。

「おっさん。おっさん。」
「何じゃい。」
「あんた、性格めちゃ悪いわ。村上春樹のノーベル賞の邪魔してたかと思うと、こんどは商売の邪魔でっか。」

「うるさい。黙っとれ。」

2013年11月7日木曜日

二の矢

二の矢

 「那須与一、引き絞って矢を放つ」で述べた、氏原寛がカウンセリングを受けていることを自分の著書で書いていることに関して、次の文章を付け加える。

 ユング派の薬は、万能薬ではないということを証拠立てる材料である。その治癒なるものは、本物ではないことを証明する証拠である。そもそもユング派における治癒は、超越的世界からの賜物(gift)であるからして、その治癒は盤石なものであるはずである。ユング派の個性化(individualization)においては、やったぞ、治った、治った、ユング様、河合様、万歳、万歳、となるか、ドツボに落ち込んでしまうかのいずれかである。つまり、all or nothingの治癒なのである。にもかかわらず、ユング派のカウンセラーである氏原寛が「恐ろしいことがあったために」スーパービジョンでもない、教育分析でもない文字通りのカウンセリングを受けていると自らの心理学関連の著書で述べているということは、ユング派の治癒がまがい物であることを自ら証明して公言していることになる。だから、こいつは馬鹿だと言っているのだ。

2013年11月5日火曜日

那須与一、引き絞って矢を放つ

那須与一、引き絞って矢を放つ

 僕は、河合隼雄Hayao Kawaiを殺したかもしれない。確証はないのであるけれども。2006年に河合のウソツキ退職について批判していた。するとその年の8月に、河合は脳梗塞で倒れたのである。無論、僕の攻撃が功を奏したのかどうかは分からない。
別の原因があったのかもしれないし、単に加齢のためだけかもしれない。しかし、それは文化庁長官の在任中の出来事であった。僕の批判が原因である可能性も否定し去ることはできないであろう。
 今、同じことを狙う。氏原寛Hiroshi Ujiharaは、長年それで飯を食ってきたロジャーズ派を裏切って、ユング派に寝返った。これだけをとってしても、この男は到底信頼することのできない人物であることが分かる。そればかりではない。そもそもカウンセラーなるものは、自己の拠って立つ立場を変えてはならないのである。宗旨替えしてはならないのである。何故なら、カウンセラーが宗旨替えをしたならば、宗旨替えをする以前の仕事が詐欺犯罪行為にすぎなかったことを自ら認め、公言したことになってしまうからである。要するに、ユング派に鞍替えした時点で転職すべきであったのである。カウンセラーの職にしがみついていてはいけなかったのである。それを未練たらしく、その職にしがみついているものだから、河合のように詐欺によって後年、手ひどいしっぺ返しを食らうことになってしまうのである。どうせ生涯の職業を、自分で決めることができないで、赤の他人に決めてもらっていた大人になれない低レベルな人物ではないか(氏原寛著『カウンセリングの枠組み』ミネルヴァ書房刊。14頁)。何故、拘る必要があるのか。
 そんなことだから、心理学関連?の自分の著書(氏原寛 前掲書)で、作家になりたいなどという訳の分からぬ戯言を抜かすようになるのである。中学生の作文かと思うような下手糞なひどい文章を書いておりながら作家になりいとは何ごとか。恥ずかしくないのか。
 また書名は忘れたが、自分の著書の中で、「カウンセリングを受けている」と書いている。カウンセラーがカウンセリングを受けるのは、当たり前ではないか。つまり、スーパービジョンとか教育分析と言われるものである。ここで、「カウンセリングを受けている」と言っているのは、スーパービジョンや教育分析のことではない。字義通りのカウンセリングなのである。それは、そうだろう。詐欺犯罪を犯しておれば、やっていけなくなることは目に見えている。そうして、それを自分の心理学関連の著書で言っているところが異常である。
 これが黄金の矢である。河合隼雄のように脳梗塞になって引っくり返って植物人間にでもなったらどうだ。それが世のため人のためになるではないか。

 矢ごろ少し遠かりければ、海の中一段ばかり打ち入れたりけり。
南無八幡大菩薩、願はくはこの矢はづさせ給ふな。
 光の矢ではなく、黄金の矢をつがえる。那須与一、引き絞って矢を放つ。


2013年11月4日月曜日

幻想の黒いオルフェ

幻想の黒いオルフェ

 「自らの手で葬り去る」の中の子どもの頃に胸の中で高鳴っていた音楽に、『黒いオルフェ』の「カーニバルの朝」を加えたい。どうした訳か忘れていた。他にも2・3曲まだ忘れているものがあるかもしれないが、面倒くさいから今はやめておく。
 映画の中では、男がギターの弾き語りでこの歌を歌っていると、隣に住んでいる娘が思わず曲に合わせて舞うのだった。
 僕はこの美しい曲を、ジャズ風にアレンジした。ただ、作曲者には失礼かもしれないが、メロディラインを少しいじった。上昇するところを下降に、下がっていくところを上昇するようにした。だから、変奏曲と言ったほうがよいのだろうか。静かで美しいこの曲を、情熱的な曲にしてみたかったのである。歌うのはサッチモの声だ。賑やかな演奏にしたい。ピアノが、歌手の旋律を奪い取ってしまうところもある。前半部分は、原曲そのままで静かに歌われる。そして、途中から賑やかになってジャズのようになる。
 Fly me to the moonも、日本の歌謡曲風に変奏した。メロディラインを変えたのは、「月に連れてって」ではなく、「君を月に連れて行こう」にしたかったからである。前半は原曲通りに、中間部が日本の歌謡曲風になり、とても賑やかになる。パーカッションに木魚を使いたいのだけど、どこかからクレームがつくかな。そして、後半部はオーケストラの演奏になる。宇宙旅行のような感じにしたい。宇宙船の操縦席の窓から、星々が次々に左右の後方へ流れていくのが見えるような宇宙の旅である。助手席には君がいる。向こうには、銀河が横たわる。そして、その遙かかなたに新世界が現れてくる。幻想のFly me to the moonである。なお、「前半は原曲通りに」と書いたが、「原曲」とは、フランク・シナトラの歌のことである。本当の原曲は、JAZZであるようだが、長い間このことを知らなかった。フランク・シナトラの歌のイメージが強すぎた。また、この変奏は、3部構成になったが、「バッハとブラームスとワーグナー」でタンホイザー序曲について述べた3部構成とも混同しないでもらいたい。「呈示の変容」ではない。あくまでも原曲に敬意を払っているつもりである。以上の2曲とも、僕が歌手になっていたら、当然レパートリーに加えていただろう。
僕は20曲以上の曲を今までに作ってきていると思う。歌曲数曲、オーケストラのための小品数曲、ピアノ協奏曲1曲(第一楽章の第一主題のみ)、現代音楽風の不協和音の曲1・2曲ニューミュージック風の歌10曲程度。しかし、これらの曲を発表するわけにはいかない。ユング派心理学という忌まわしい集団が、芸術の門外漢のくせに芸術を分かったような顔をし、芸術創造の源泉を突きとめたのだと豪語して、芸術の創造の助力をするようなふりをして、邪魔しようとする。また、芸術家を自称する偽者が、ユング心理学に立脚して作品を作り上げたとしている。そして、真の芸術を押しのけている。このような状況では、芸術はやがて息絶えてしまう。それに抗議するためにも、僕は、僕が作り上げた作品を発表することなく、ひとりで墓場まで持っていくことにする。小説1本(アウトラインのみ)も同じだ。いわば抗議の焼身自殺みたいなものだ。どうもユング派に付け狙われているらしいと感じたときから、曲を作らないようにしている。自然に湧いてくるものは仕方がない。しかし、それも忘れることにしている。こんなことがなかったら、もっとたくさんの曲を作れただろう。

 20歳前後のときに、よく似た曲を2曲作った。やや曲調は似ているが、表現するものは全く違う。どちらもオーケストラによる間奏部分が重要になっていて、間奏が結構長い。ひとつはバリトンに歌ってほしい。愛の成就、もしくは愛に至る道程がテーマである。もうひとつは子守唄風である。アルトかソプラノに歌ってほしい。世界中の、目に涙をいっぱいためている子どもに贈りたい。でも、僕はこれらの曲を贈ることができないのは、先ほど述べたとおりである。


ごめんね。おじさん、歌ってあげることができないのだよ。そのかわり、誰かに、ドボルザークの「わが母の教えたまいし歌」を歌ってもらってから、お休み。ちょっと難しいかもしれないけど。おじさんはね、ドボルザークのおじさんには、とてもかなわないのだよ。

請求書

請求書

 あまりにも悪質である。損害賠償請求額を、下記の通り引き上げる。早急に支払え。

A大学O教授(詐欺事件に加担、侮辱罪)                             200万円
A大学K教授(詐欺事件の実行犯として)                             1000万円
河合敏雄Toshio Kawai(京都大学教授)(正犯の相続人)                  2000万円
氏原寛Hiroshi Ujihara(元大阪市立大学教授)(正犯)                2000万円
以上

2013年11月3日日曜日

佇立する安寿

佇立する安寿

 自我が芽生え、次第に力をつけ成長していこうとするとき、目の前に巨大な障壁があることを認め、目を見張る。そして愕然とする。この障壁、自分ひとりの力では、とても乗り越えられそうにない。どうしても己れの分身に越えてもらわねばならぬ。その場合、自分は生きていることができない。
 「二人の子供が話を三郎に立聞きされて、その晩恐ろしい夢を見たときから安寿の様子がひどく変わってきた。顔には引き締まったような表情があって、眉の根には皺が寄り、目ははるかに遠いところを見つめている。そして物を言わない。」
 安寿は、計画を断行する。「安寿はけさも毫光のさすような喜びを額にたたえて、大きい目をかがやかしている。しかし弟の詞には答えない。ただ引き合っている手に力を入れただけである。」「姉は胸に秘密を蓄え、弟は憂えばかりを抱いているので、とかく受け応えが出来ずに、話は水が砂に沁み込むようにとぎれてしまう。」
 「安寿はそこに立って、南の方をじっと見ている。目は、石浦を経て由良の港に注ぐ大雲川の上流をたどって、一里ばかり隔った川向いに、こんもりと茂った木立ちの中から、塔の尖の見える中山に止まった。そして『厨子王や』と弟を呼びかけた。『わたしが久しい前から考えごとをしていて、お前ともいつものように話をしないのを、変だと思っていたでしょうね。もうきょうは柴なんぞは苅らなくてもいいから、わたしの言うことをよくお聞き。」

   ― ― ― ―

わたしが死んでも、わたしの魂は厨子王に乗り移る。そして、最後まで厨子王を守り、やがて、あの邪悪な山椒大夫の一家を訴え出て懲らしめてやるのだ。

さあ、厨子王。ここですべてをお前にバトンタッチするよ。だから厨子王、勇気をもってこれをやり遂げなさい。

 自分はもうこの世にいてはいけないのだ、と覚った少女は、わずかに残された時間を「泉の畔に立って」過ごす。名もない草花に目をやり、木々の緑を眺め、大空を見上げ、鳥の声に耳を澄ます。作者・鷗外の慟哭が聞こえてきそうである。それでも外は、ごくあっさりと、素っ気ないくらいに、「幸いにきょうはこの方角の山で木を樵る人がないと見えて、坂道に立って時を過す安寿を見とがめるものもなかった」と書いているだけである。
 
 森鷗外は、日本で最高の文学者である。
  (森鷗外『山椒大夫』から)

2013年11月2日土曜日

心の映画

心の映画

 『心の旅路』は、僕にとって心の映画と言ってもよいだろう。それからチャップリンの映画も、そう呼んでよさそうである。『心の旅路』を初めて観たのは、小学生の高学年か中学生ぐらいのときだった。NHKが放送していたのである。それからずっと心に残っていて、もう一度観たいと願っていた。DVDのない時代である。そして、数年後にNHKが再び放送してくれた。それから、また十数年後に、今度は映画館で観ることができた。
 白黒の古い映画である。壮大なメロドラマというのが大方の受けとめ方であるようである。しかし、この映画は単なるメロドラマではないと思う。
 余計なことかもしれないが、この映画のあらすじを以下に記しておく。この物語を短く要約するのはとても難しい。紆余曲折があって、ストーリーが複雑だからである。しかも古い記憶に頼らなければならないので、細部において、間違いがあるかもしれない。

 第1次大戦中、男の近くで爆弾が炸裂し、男は記憶喪失になった。病院に収容されていた男は、ある夜、病院を抜け出した。煙草を買おうと立ち寄った煙草屋で、ポーラという娘から、追手が来ていることを教えられる。男とポーラは手を取り合って逃げ、ふたりで田舎で暮らすことにする。男の名前を、仮にスミスと名付けた。そして夢のような月日が流れた。スミスは文筆業を仕事にする。記憶喪失になる前は作家だったかもしれないね、とふたりは話し合った。
 新聞社から仕事の依頼があり、スミスはリバプールへ出かけた。新聞社へ行く途中、スミスは車と接触して路上に倒れ、頭を打った。その時、スミスは失くしていた記憶を取り戻し、かわりにポーラと一緒に暮らしていた記憶喪失期間中の夢のような記憶を失ったのである。つまり今度は、ポーラやポーラと暮らしていた家のことなどが、すっかり分からなくなったのである。
 スミスは、高名な実業家の跡取りだった。数日前に父が亡くなっていて、スミスは父の会社の経営を引き継いだ。スミスという名前も忘れてしまっていて、ここから本名になっている。そして、てきぱきとした有能な実業家になった。画面に映る秘書の顔を見て驚く。ポーラである。ポーラは、行方不明になったスミスが、記憶を取り戻して著名な実業家になっていることを新聞で知った。そして、会社が秘書を募集していたので、名前を変えて応募していたのである。スミスは、秘書のポーラが誰なのか、分からない。けれども、とても信頼している。
 そのうちに、スミスの縁談がまとまった。ポーラが、スミスとの愛の生活のことを打ち明けようかどうしようかと思い悩む日々が続く。そうしているうちに、スミスの婚約者は、スミスと一緒にいてもスミスが、自分ではなくどこか遠いところを見つめているのに気がつく。その表情から、ここに愛はないことを覚った婚約者は、スミスから去って行く。
 月日が流れた。スミスは、今度はポーラに求婚した。ただし、これは愛するが故のプロポーズではなく、実業家としてのスミスの良きパートナーになってほしいという意味の求婚だった。ここでもポーラは傷つき思い悩むが、結局受け入れることにする。ふたりの結婚生活は、愛のない、ただ実利だけのための結婚生活だった。そのうち、スミスは国会議員にもなり、スミスとポーラは、理想的な夫婦と世間に思われているが、実際には形式だけの二人だった。
 そうしているうちに、二人が出会った煙草屋のある町のスミスの会社で、ストライキが起きた。スミスは、社長としてストを収束させるために出かける。無事ストを収めたスミスは、町を歩いている。ふと足を止めて、一緒にいた社員に、
「あの角のところに煙草屋があるから、買ってくる。」
と言う。
「社長、この町は初めてではないのですか?」
「ああ。初めてだよ。」
「それなら、社長。どうしてあの角に煙草屋があることを、ご存じなのですか?」
このような会話を通じて、少しずつスミスの記憶が頭をもたげてきたようである。あの交通事故以来、何の鍵だか分からないながらも、いつも持っている鍵をじっと見つめる。交通事故の日に宿泊していたホテルに足を向ける。そして、自分の名前、当時住んでいた家などを教えてもらう。
そのとき、ポーラもスミスの行動を人から教えてもらって、ふたりの思い出の家へと足を急がせている。
 スミスは、ポーラと暮らしていた家の前に立っている。庭には花が咲き、小川が近くを流れている。おそるおそるあの交通事故以来、いつも持っている鍵を扉のカギ穴に差し込む。ぴったりと合った。ドアを開く。その時、駆けつけてきたポーラが、「スミスィ」と叫ぶ。スミスは振り返って微笑み、「ポーラ」と答える。ふたりは駆け寄り、抱き合う。

 以上が、この映画の梗概である。確かに、メロドラマと評されても仕方がないかもしれない。
 スミスの人格は、てきぱきとした実業家の人格から、どこか夢見るような文筆家の人格へと移行したのだろうか。それとも、両者は統合したのだろうか。

 もうひとつ、挿入曲がとても好きな映画がある。『男はつらいよ』、寅さんシリーズである。おそらく、山本直純の作曲だろう。寅さんが振られるマドンナが、失意や悲しみから新しい愛を見つけて歩みだすときに、決まってこの音楽が流れる。僕は、この曲を聞きたいために、何度も何度も映画館に足を運んだのだろうか。魂の匂い、という表現はおかしいだろうか。魂の揺りかごに揺られているような感じ、とでも言おうか。


2013年11月1日金曜日

心の中の女性像

削除した。
ユング心理学のアニマの元型について、厳密には女性像ではないという理解に達したので、この記事をあげておく必要がなくなった。
アニマは女性像ではない
http://gorom2.blogspot.my/2016/01/blog-post.html