2013年9月2日月曜日

悪魔との戦い(旧版から)

悪魔との戦い

 ホームページの下の箇所で書いた、ご意見を寄せていただきたいということに関しては、このようなタイプの悪魔どもと戦うにはどうしたらよいか、についてもご意見をお聞かせ願いたい。悪魔といっているのは、超越的世界からの賜物を現世で利用しようとしているからである。これこそが堕天使なのである。堕ちた天使とは悪魔のことである。(参考文献、悪魔と戦う:ミルトン『失楽園』、バニヤン『天路歴程』および各国の民話)(なお、『天路歴程』の中に、僕が主張しているのとほぼ同内容の記述があるのに気づいた。「パンの塊のためにキリストに従ふことが正しくないとすれば(ヨハネ伝の第6章にあるやうに)、まして況やキリストと宗教を一種の忍び駒[註。狩人がその陰にかくれて獲物に近づくための馬、木で造つたものもあり、本物を用ゐることもある。]に使つて、俗世間を手に入れたり、楽しんだりしようといふのはどれだけ嫌はしいものであるか分りません。又、私どもは異教徒か、偽善者か、悪魔か、魔法使のほかにさういふ意見をもつてゐる者を発見しないのす。」(竹友藻風訳 第一部 221頁)(ちなみに、僕はキリスト教徒ではない。)

 ところで僕は、村上春樹は読まない。宮崎駿のアニメも観ない。どちらもユング・河合の大ファンであるらしい。芸術とは人間が作り上げたものである。コンピュータ仕掛けのロボットみたいなものが制作したものは、何の意味もない。たとえ外国においてさえ、もてはやされていようが。だから、ヘルマン・ヘッセへのノーベル文学賞の授与は間違いであった。ヘッセがユングと出会う前の作品が、ノーベル賞の対象であるならば、話は別かもしれないけれども。(アニメを芸術に含めるのは若干無理があるかもしれないが、今は仮にそうしておく。)     
 (2010717

 

0 件のコメント:

コメントを投稿