2013年9月4日水曜日

自らの手で葬り去る

 胸の底で、音楽が高鳴っていた。子供の頃、ひとりで田舎の畦道を歩いているときのことである。ロシア民謡のともしび、アイルランド民謡のグリーンスリーブス、フォーレのシチリアーノ、べサメ(あの有名なべサメ・ムーチョとは全く異なる曲である。ジャンルとしては、ボサノバに属するのではないか。レイラ・ピニョイロが歌っていた。愛が芽生える瞬間を見事にとらえた歌だと思う)、時計(ラテンの曲)などである。あの時、全世界を手に入れたような心の高ぶりを感じていた。「后の位も何にかはせむ」と、古代の文学少女が言い放ったのと相通じるものがあるだろう。
 胸の底で高鳴る曲は、大人になって,何十曲か新しく付け加えられた。町を歩いているとき、林の傍を通り過ぎるとき、ぼんやりと海を見ているときのことである。そうして、そのうちに、自分で作った曲も加わってきた。もしかしたら、作曲家になれるかもしれない、と思った。ともかく、胸の内で音楽が響き渡るということは、心を和ませる。
 ところが、僕はこの素質を、僕に一流の芸術家になりうる資格があるとすれば、自らの手で闇に葬り去ろうとした。A大学大学院における詐欺事件を思い起こす。どうやら、この邪教・悪魔崇拝のやつらに興味・関心を抱かれているらしい。もう、これでおしまいだと思った。この悪魔崇拝の輩は、芸術に深く関心を寄せながら、それとともに芸術の息の根を止めようとするやつらなのである。真の芸術は息絶えて、偽物ばかりが蔓延ることとなる。

 音楽のほかに、もうひとつある。高校生の頃から、文章がうまいと褒められてきていたのである。自分ではあまり自覚はなかったのであるが、やはりそうかもしれないと感じるときがある。若い頃には、作家になりたいと考えたこともあった。しかし、これも自らの手で息の根を止めてしまおう。

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