冒瀆
僕は昔、カウンセラーになりたいと思った。それでA大学大学院に入学したことは、前に書いたとおりである。そうすると、旧版の「芸術に深く関心を寄せ そして・・・・」で書いたことが、僕自身に跳ね返ってくるわけである。つまり、カウンセラーや精神科医のように、人の心を癒してあげようと考えること自体、何ものかに対する冒瀆(ぼうとく。フォントがない場合がある)である。冒瀆的行為をなす者の精神は、崩れ去るであろう(S・フロイトの例)(なお、この考え方は、昔話から導き出したものである。冒瀆的行為をなす者は、醜い動物に変身させられる)。以上のようなことが、僕にも当て嵌まるかもしれない、ということなのである。実際に、僕がカウンセラーになりたいと考えていた頃は、何と言ったらよいのだろう、自分の精神が色褪せて、干からびて見えていたものだった。
ところが、幸いにも、僕はカウンセラーにはならなかった。いや、カウンセラーになれなかった。それならば、邪魔をしてくれたユング派に感謝すればよいではないか、と思われるかもしれない。だけど、そういうわけにはいかない。やはりユング心理学は、数ある臨床心理学の理論の中でも、際立って危険な考え方である。