別れを告げよう
A大学における詐欺事件を振り返ってみる。何と気持ちの悪いやつらだろう。ユング派、その息のかかったやつらは。そのやり方、行動様式が常人と異なるではないか。なぜ、異なるのか。それは、やつらの行動規範は、自我(ego, Ich)に根拠を置くものではないからである。やつらが、ある行動をするとき、それは自我が決定しているのではない。無意識というやつが決定しているのである。ユング派ならば、集合的無意識というものであるかもしれない。無意識が指し示すことを、自我のフィルターをかけずに、そのまま行動の一歩を踏み出すというわけである。これは、自我がまだ発達していない幼児、また、自我が崩れている精神病者に特有の行動の仕方である。ユング派とは、精神病者になれば心の安寧が得られるぞ、というやつらなのである。すると・・・・、よく分からなくなってしまった。やつらが言う治癒とは、治癒なのか発病なのか。
このことを一体、誰に決めてもらえばよいのだろう。このサイトを見ている君は、きっと言うに違いない。「そんなこと、決まっているではないか。精神科医に決めてもらえばよい」と。だからね、その精神科医というやつが、あてにならないのだ。前の「芸術に深く関心を寄せ そして ・・・・」を、もう一度読み返してほしい。
それを決めるのは、このサイトを御覧いただいている皆さんだと思う。決めるのは、世界各国の国民である。だから、このサイトの閲覧者が、多ければ多いほどうれしいのである。キーワードは、「自我と無意識の関係」である。これは、C・G・ユングの主要な著書の題名でもある。つまり、自我がどれほどの強さを持っているか、ということが指標になる。大人になっているかどうかである(精神分析の一派に、自我心理学というのがあって、確かハルトマンHartmanという人が提唱していたと思う。だが、こいつはS・フロイトの弟子だから駄目だ)。
さあ、心理学や精神医学に別れを告げるときだ。ごみ箱に捨ててしまえばよい。そうして、できることならば、西洋的な科学そのものも処分してほしい。とりわけ、医学が邪悪である。西洋的な科学は、傲慢さの現れである。西洋的な科学は、「もの」を操作しようとするものであるが、その対象が人間に向かったとき、恐ろしいものとなった。特に、第二次大戦中の日本の731部隊による残虐行為は、その後の医学を変質させてしまったのである。この責任は、日本とアメリカにある(もしかしたら、ドイツにも、同様の責任があるかもしれない)。