(「河合隼雄の犯罪」へのアクセスが非常に多いようですが、「那須与一、将に射むとす」(10月18日付)のほうが分かりやすく整理してあります。できれば、そちらのほうを御覧ください。“ウソツキ退職”と名づけたのは、河合(Hayao Kawai)が自らを“日本ウソツキクラブ会長”と名のっていたからです。ふざけた、人を馬鹿にした人物ではありませんか。こんなやつが、道徳の副教材“心のノート”を作成したのですよ。しかも、それを多額の税金を使って日本の子ども全員に配布したのです。信じられますか。子ども達のことを一向に構わないで、ゴロツキを優遇し援助する国。これでは、日本という国は、ふざけた始末の悪い国ということになってしまいますね。世界中から軽蔑されるのではないでしょうか。)
中国からは、早く来てくれと毎日、催促されている。学校は9月から始まるからである。しかし、僕は動きたくても動けない。手元には、飛行機代さえも残っていないからだ。
以下、「那須与一、将に射むとす」から
ここで河合隼雄(Hayao Kawai)のウソツキ退職について、もう一度整理しておこう。河合は奈良の勤務高校在職中に、昼間の京都大学大学院に進学した。大学院進学にあたっては、次のように申告しなければ認めてはもらえないだろう。「大学院で習得した知識やスキルを、将来本校の生徒指導等に役立てたい」と。勤務高校は、しぶしぶと許可した。「しぶしぶと」というのは、河合が勤務しながら昼間の大学院に通学することによって、担任業務、校務分掌、生徒指導、部活動指導などに支障が出るからである。ただでさえ忙しい他の同僚に穴埋めしてもらわなければならない。このようにして、給料ももらいながら大学院に通ったわけであるが、修了するやいなや高校を退職してしまった。そして、天理大学教授になった。だから、詐欺だと言っているのである。さらに、天理大学においても、同じ詐欺を繰り返している。この場合は、大学院進学ではなく、外国留学であった。こうして、京都大学教授になった。勤務高校が河合を告発しなかったのは、おそらくその管理者が、お人好しのボンクラだったからである。そのために河合は味をしめて、次の天理大学でも同じ詐欺事件を起こしたではないか。河合の犯罪には常習性がある。
以上の事柄は、公になっている情報から読み取ったにすぎない。また、勤務高校を当初、天理高校と考えていたが、どうやら違うらしい。奈良育英高校が正しいのかもしれない。いずれにせよ、ある分野の第一人者であり、人気作家も顔負けするほどの売れっ子でもあり、文化庁長官にも就任した人物の勤務高校名がはっきりしないのは不可解である。河合が隠そうとしていたからである。そして、高校の教え子たちも、河合を嫌っていたからでもあるだろう。河合の教え子は、数千人いるだろう。高等学校だから、3年間に数百人の生徒を教えることになる。河合が、タレント以上の有名人になったにもかかわらず、教え子の誰ひとりとして河合の思い出話を語っていないのである。余程、冷酷で人間味のない温かみのない数学教師だったのだろう。後年、河合が悪魔になる素地は十分にあったわけである。
このような人物に、道徳の副教材「心のノート」を作成させるとは何ごとか。
日本の小・中・高の教員たちは、生徒が転んだとき、手を差し伸べようとする。それが、全人格的なものであるとき、自分の持っているものすべてを賭したものであるとき、そしてそれが生徒の心に伝わったとき、大抵の生徒は自ら起き上がろうとする。「さあ、自分の力で立ち上がりなさい」と言うだけでよいのである。その後は、ただじっと見守っているだけでよい。細々としたことを、教示する必要もあまりない。但し、これをカウンセリングをもって行おうとしては絶対にいけない。どんなに低姿勢、優しさを装おうとしても、相手はその傲慢さ・不遜さを敏感に感じ取ってしまうものである。
中国からは、早く来てくれと毎日、催促されている。学校は9月から始まるからである。しかし、僕は動きたくても動けない。手元には、飛行機代さえも残っていないからだ。
この厳しい状況の中で、敢えて困難極まりない恐ろしい戦いを再開した。
それでは、河合隼雄の詐欺犯罪について触れておく。以下は、旧版の「ユング心理学批判」からのものである。河合は、詐欺犯罪を二度も行なっている。勤務高校と天理大学においてである。なお、下記の文で、勤務高校となっているのは、元の文では、天理高校となっていたが、どうやら間違いで、他の高校であるらしい。だから、勤務高校に改めた。とにかくユング派は、犯罪行為・悪事を平気で行う奴らだ。ユング心理学こそ、人類の新しい福音を齎すものであると、盲信しているからである。
勤務高校はなぜクレームをつけなかったのか
ここで河合の勤務高校嘘つき退職について整理しておきましょう。河合は十数年間、勤務高校に勤務しました。そして、ある人に「何か勉強していないと人間が堕落する」(1990年前後の朝日新聞に連載された河合が執筆した記事)と言われました。そこで河合は、仰せのとおり大学院に進学し、臨床心理学者を志すことにしたのです。いい年をした中年のオジサンなのに、何という自我のなさでしょうか。大学院進学が、河合のその後の人生を大きく変えました。人生で最も大切な職業選択を人に決めてもらっていたのです。そうして目指したのがカウンセラーでした。普通ならば、勤務高校を退職して大学院に通学するのが筋なのですが、河合はそうしませんでした。在職しながら大学院に通ったのです。最初、それは夜間大学院に違いないと考えたのですが、不思議なことに昼間の大学院だったようです。勤務高校に在職しながら、どうして京都大学の昼間の大学院にも籍を置けるのか、理解に苦しむところですが、とにかく河合は大学院に通いました。その際、勤務高校にありのままを告げたなら、勤務高校が許可してくれるはずがありません。そこで河合は、次のように申告しました。「大学院で学んだ知識やスキルを将来本校の生徒指導に生かしたい」と。そういうことならばということで、勤務高校はしぶしぶ大学院通学を許可してくれました。大学院に在籍していた間、河合は勤務高校のためにたいして仕事もしていないにもかかわらず(そもそも仕事をするのは物理的・時間的に不可能に近いでしょう)、ちゃっかりと給料だけは受け取っていました(休職していたわけでもないようです)。そして、いよいよ大学院修了という年に、河合は勤務高校を退職してしまったのです。常識的には、ここで勤務高校は河合に対してクレームをつけるはずです。場合によっては、大学院在学中に支払った給料全額の返還を請求してもよいでしょう。ところが、勤務高校はそうしませんでした。
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