河合隼雄、「心のノート」で模範授業を行う(想定場面)
(河合は「心のノート」作成後、実際に模擬授業を行い、自らを「心の先生」と呼ばせていたという。)
担任――それではみなさん。今日は、偉い偉い心の先生に模範授業をしていただきます。みんなしっかりと「心のノート」でお勉強しましょう。それでは河合先生、よろしくお願いします。
河合――エッヘン。わしが今ご照会にあずかった河合隼雄じゃ。もと京都大学教授で今はな、エッヘン文化庁長官じゃ。家にはわしが書いた本があるじゃろ。テレビでも、わしの顔ぐらいは見たことがあるじゃろう。つまり、わしゃあ有名人じゃな。政府の審議会などでも委員になっておるし、座長はんも務めた。
児童A――心の先生。
河合――うむ?何じゃ。
児童A――「シンギカイ」て、なんですか。
河合――審議会か。審議会というのは、つまり政治家という者はだな、総理大臣もそうじゃが、みんな頭の中が空っぽのやつばかりなのじゃ。それでじゃ。何か重大なことが起きて解決が迫られても、やつらはな、どうすればよいのかさっぱり分からんのじゃな。だから、ただうろうろ、おろおろするばかりじゃ。それでじゃ、天下の賢人達を呼び集めてじゃな、「賢人の皆様方、わしあどうすればよいのか見当もつきません。どうか賢人の皆様、わしにどうすればよいか、教えて頂戴」と、頭を下げるんじゃ。それが、審議会というもんじゃ。
児童B――心の先生。「ケンジン」って、なんですか。
河合――おお。中々、いい質問じゃのう。賢人というのはな。そうじゃなあ。みんな、わしの顔をじっと見てみなさい。みんなが今見つめている顔。この顔が賢人様のお顔じゃ。ようく、覚えておきなさい。
児童全員――ハーイ。
河合――それでは、「心のノート」の47ページを開きなさい。この「心のノート」はだな、何を隠そうこのわしが作ったものじゃ。どうじゃ、立派な道徳の教科書じゃろう。何しろ賢人様であるわしが作成したのだからな。それでは、みんな、嘘をついてはいかんぞ。嘘をついたらな、閻魔様に舌を引っこ抜かれるぞ。みんなの中で、最近嘘をついた人はいるかな?
児童多数――ハイ。ハイ。
河合――何じゃ、仰山手が上がっておるわい。なかなか活発な・・・・待てよ。これはちょっとまずいな。担任が悪いのではないのかな。ようし、このことは、文相の遠山のウバ桜に報告しておこう。
担任――アッ。お代官様。いや、長官様。どうかそれだけはご勘弁を。
河合――それでは、C子さん。どんな嘘をついたのじゃ?
児童C――わたしは、きのうおかあさんからスーパーで買いものするようにたのまれました。それで、おかあさんにかえすおつりをごまかして、かえりにアイスクリームを買って食べました。
河合――何じゃと。何という情けないことをするのじゃ。ああ、嘆かわしい。これでは将来が思いやられるわい。だいたいな、人を騙してじゃな、自分が利益を得ようとするその根性が卑しい、腐っておるわい。そんなことをしているとな、魂が汚れるぞ。
児童D――心の先生。
河合――何じゃ。
児童D――天理高校をうそつきたいしょくするのは、どうなんですか?
河合――ああー。つらいのう。それを言うな、横山。
児童D――あのう。ぼく、そんな名前では。心の先生。どうして、ハンカチをくわえているんですか。
河合――し、舌が。ううッ。バッタン。
児童全員――たいへんだ、たいへんだ。心の先生がひっくりかえったぞ。あっ。口から血が出ている。
(ユング心理学において完全に欠落している観念がひとつあります。罪の意識とか罪責とかと言われるものです。人が悪事をなせば、いずこからともなく立ち現われてきて、人に償いをせよと迫る恐ろしい神の観念が脱落してしまっています。この恐ろしい神のイメージは、ユング心理学の用語である“集合的”という言葉に照らせば、あきらかに集合的なものであるはずです。それなのに、ユング心理学はこの観念を完全にオミットしているのです。精神分析的には、無視し置き去りにしたものにこそ由々しき意味があると考えられるはずです。河合とて例外ではありませんでした。「ウソツキクラブの会長」などという情けないことを公言していたとき、河合の心の底に地下水のように貯留していたものが、一部噴出していたのでしょう。ユング心理学において、個性化を果たし、セルフの出現をみることと、この恐ろしい神との関係は一体どうなっているのでしょうか。セルフの出現による心の安寧とは、果たして本物なのでしょうか。
もしもこの恐ろしい神が消滅してしまえば、そして悪事をなしても罪の意識にさいなまれることがなくなれば、どんなに幸せになれるだろうと人ははかない夢を見るかもしれません。けれども、そのようになってしまった社会(悪事をなしても罪の意識を感じない者が充満している社会)は、もう人間が住めるような社会ではないということは言うまでもありません。人類が生存していくためには、怖くていやだけれどもこの神がどうしても必要なのです。たとえそれが、C・G・ユングの言うような「人間性を拡大」するのとは対極的な、人間性を縮こまらせるものであったとしても。それを完全に無視しているいわゆる「心理学」なるものが、本物ではないことはあまりにも明白なのではないでしょうか。)
(2007年10月1日)