九の矢
原発政策を推進してきたのは、自民党と公明
党である。ところが、あの原発事故が起きたときに
は、どうしたわけか民主党が政権の座にいた。民
主党の原発事故に対する対応が不手際だと批
判されて、政権の座を追われた。民主党に代わっ
て政権をとったのが、自民党・公明党であったとは
なんという皮肉な結果であろうか。自民党や公明
党の政治家は切腹ものではなかったのか。こんな
妙なことになっているから、先般、空っぽ頭の、も
のを考える力のない安部晋三が提出した恐ろし
い悪法を強行採決しやがったではないか。
特に忌まわしいのは公明党である。もしも公明
党が野党であったら、絶対反対を叫ぶだろう。とこ
ろが、今は自民党にくっついて甘い汁を吸おうとし
ている。すると、手のひらを返して、諸手を挙げて
賛成するのである。頭、空っぽのハイルヒトラーだ
。だから、創価学会・公明党(Souka G
akkai)は自分の頭でものを考えたことのないや
つらの寄せ集めだと言っている。日本史上、最低
レベルの悪質な宗教団体だ。社会的システムとし
ては、ヤクザ集団(Yakuza)と同じである。社
会のはみ出し者・落ちこぼれ・ごろつきのようなや
つらが、寄り集まってお互いの傷を舐めあっている
場なのである。世界中の皆さん、このこともよく覚
えておいてください。創価学会は世界に進出しよ
うと企んでいますよ。くれぐれも、お気をつけください
。
「ダンナ、今日は、また素敵なお洋服ですね。」
「へへっ。いえ、なになに。そちらさんこそ、今日はス
カッとした、いいお顔をしていらっしゃる。」
普段、人から優しい言葉をかけてもらったり、大事
にされたり、敬意を表わされたり、信頼されたりし
たことの一度もない者達が、創価学会の集会に
出席しては、ほんわかとした、いい気分になって帰
宅の途につく。「ああ、ほんとに創価の会員になっ
てよかったなあ。」
いつまでも、退廃的なぬるま湯につかっていたいの
か。このぬるま湯は、人と人との結びつきを獲得したものではない。ひとは、このぬるま湯につかりながら、同時に極寒の世界へとトリップする。草も木も生えない荒地、たったひとりぼっちの世界である。
以前、僕が住んでいた家の右隣と向かいの家が
創価学会だった。ずいぶんと悲惨な環境だったわ
けである。ある日、右隣のおばさんが家の前の掃
き掃除をしていた。そこへ、何かの新聞の勧誘員
がやってきた。新聞勧誘員の執拗な勧誘にめげ
もせず、むしろ手玉にとって軽く扱うように、しかも
相手を見下した実に冷たい態度であしらっていた
。大声で話しているので、家の中にいる僕の耳に
もはっきりと聞こえてくるのである。そのうちに、勧誘
員が創価学会の会員であることが判明した。この
ときの創価おばさんの変わり身のすばやさといった
ら、それこそ芸術的である。
「あら、仲間じゃない。それじゃあ、家の中に入って
お茶でも飲んでいかない?」
と、きた。そして、ふたり仲良く家の中に入っていっ
た。きっと中では、「歩き回るの、大変ね。ゆっくり
していきなさいよ。さ、コーヒーにケーキ。残り物だ
けど、ちらし寿司もありますよ」とかなんとか言って、
盛大にもてなしているのだろう。
ひとは、とにかく他人を色眼鏡で見る傾向にある
。われわれは、この色眼鏡を、できうる限り取りは
ずすように努めなければならない。そうしなければ、
精神的成長もありえないだろう。色眼鏡とは、相手の人格を見る目を曇らせるものである。色眼鏡は、人格と人格の結びつきを阻害する。色眼鏡は人格と人格の出会いを妨害する。創価学会は、このような色眼鏡をかけよ、それも度つきの真っ黒な
スーパー色眼鏡をかけよ、と信者を誘導して奨励
しているのである。
創価学会が、単なる仲良しクラブであったなら、
それもそれで存在意義がないわけでもないだろう。
ところが、それが宗教団体を看板に掲げる、政治
の世界に進出する。こうなると、その恐ろしさ、いか
がわしさは極点にまで達する。日本史上、最低
最悪の宗教団体だ。創価信者の皆さん。いつま
でも、そんな薄汚いぬるま湯につかっていてはいけ
ない。目を覚ませ。第一、創価学会を巨大にした
、あの胡散臭い準教祖は、犯罪者ではないか。
犯罪者の宗教団体に、明日はない。
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