2013年12月15日日曜日

海が見ていた

 太陽がいっぱいだ。とても、いい気分だ。燦燦と降り注ぐ太陽の光。きらめくような青い海。

 あいつの金を奪った。恋人も、今では俺のものだ。誰にもあいつを殺すところを見られなかった。証拠なんか、どこにもない。死体は、布袋か何かに入れて海に捨てた。完全犯罪だ。

 ちょうどその頃、ヨットが陸に引き揚げられるところだった。ヨットが何かを引きずっていた。スクリューに巻きついた縄の先には、布袋のようなものがあった。「おい、あれは何だ」と駆け寄る人々。ヨットは航行中、ずっとその布袋を海の中で引き回していたのである。

 映画「太陽がいっぱい」のラストシーンである。あの美しいテーマ曲が流れていた。この映画は、一度しか見たことがないので、細部において間違いがあるかもしれない。

 誰も見ていなかったはずの殺人事件の犯人を、海が見ていて告発したのである。大自然が、ちゃんと見ていた。そして、証人になった。

 推理小説の結末を書いたりしては、まずいだろう。それこそ営業妨害だ。しかし、これは推理小説ではない。それに、他のWebサイトで、あらすじを書いているのが幾つもある。古い映画だし、構わないのかな、と思った。

 反自然、反宗教、反芸術、反倫理、反人間、そして反世界。これが、ユング心理学である。個性化の終着駅は、マンダラの顕現である。その終着駅に着くと、人は人間性を失う。暖かい血の通っていない冷血動物になる。それでいながら、人からは優しそうな、とても立派な人のように見えるから不思議なのだ。終着駅は、始発駅でもある。今度は、どの駅に向けて列車は折り返して発車するのだろう。

 こいつらは、言っておくが、陰でコソコソ何をやっているのか分からないやつらなのだ。狂信者とはそういうものである。何かとてつもない悪事を、全世界がびっくり仰天するような悪事を行っているかもしれないのである。何しろ悪を否定しない心理学なのだから。

 神が、ただ黙って見ているだけだとしても、海が、森が、山が、小さな可憐な野の花が、大自然が、人の内なる自然が告発してくれるだろう。

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