ただいたほうがよろしいかと思います。)
まなざし
最近ニュースになったことだから、覚えている人も
たくさんいると思う。ローマ法王フランシスコ1世の
逸話である。フランシスコ1世が、難病のために差
別を受け続けてきた男性を抱きしめた話である。
そのとき男性の傍にいた身内の人は、「法王は何
も言わず、ただ心の奥深くまで届くような、それは
美しいまなざしで私の方を見た」(CNN)と、話している。
僕もこのような「まなざし」に、一度だけ出会った
ことがある。まだ若かった頃のことである。その人は
、牧師でも僧侶でもなかった。この「まなざし」は、
その後、僕の心をいつもポカポカと温めてくれる目
に見えない懐炉のようになった。
「那須与一、将に射むとす」(http://moriyamag.blogspot.fr/2013/10/blog-post_18.html)
の河合隼雄のウソツキ退職の項の末尾で、「日
本の小・中・高の教員たちは、生徒が転んだとき
、手を差し伸べようとする。それが、全人格的なも
のであるとき、自分の持っているものすべてを賭し
たものであるとき、そしてそれが生徒の心に伝わっ
たとき、大抵の生徒は自ら起き上がろうとする」の
中で、「それが、全人格的なものであるとき、自分
の持っているものすべてを賭したものであるとき」と
あるのは、このような「まなざし」を、脳裏に思い浮
かべていたかもしれない。しかし、それではあまりに
も荷が勝ちすぎていよう。平たく言えば、こういうこ
となのである。ひとりの人間が心配している、この
気持ちが相手の心に伝わりさえすればよいのであ
る。
0 件のコメント:
コメントを投稿