2013年10月22日火曜日

威しによって手に入れることができるか(旧版から)

威しによって手に入れることができるか(旧版から)

 村上春樹が寝言を言っておるぞ(きっと)。
「ノーベル賞の選考委員どもは、何をグズグズしておるんじゃ。早う、わいにノーベル文学賞をよこしてけつからんかい。ほんまに愚図なやっちゃのう。ひとつ、どついたろか。」「わいはもう受賞記念のスピーチの原稿、とっくの昔に書いてしまったぞ。本棚の中で埃かぶっとるわい、アホンダラ。」(村上春樹はどこに住んでいるのだろう。河合の大ファンでも関西弁ではないのかな?)
 村上春樹は、喉から手が出るほど欲しがっているだろうが、こんなやつにノーベル賞をやってはいけない。すべてノーベル賞の選考委員のみなさんの、威しに屈しない良識にかかっているのであります。
 ユング派の特徴は、話し合いや議論によって事を成就しようとするのではない。思わせぶりな身振りや素振りによって、人を自分の思い通りに動かそうとする。その意味で、反民主主義であり、反自由主義である。河合隼雄が文化庁長官になったり、京都大学教育学部教授になったのも、言葉に表さない威嚇によるものだったのかもしれない。何しろそれが、ユング派の特徴なのだから。とすると、河合の態度による威しの相手は、文化庁長官就任当時の首相は小泉純一郎(任命権者が首相ではなく文相ならば、遠山某あたり。そう言えば、小泉は池田大作と同様、レイプ魔だった。ただ、小泉の場合は池田大作と違って、その疑惑が明確でないきらいはあるが。ただ、小泉のレイプの件は、河合の言葉にならない威しの材料である可能性は低いと思う。それとも河合隼雄・池田大作・小泉純一郎のように犯罪者同士は、お互いに共鳴するのだろうか)、京大教育学部の場合は、おそらく教授会あたりだろう(京都大学は、やはり三流大学である)。河合は口に出して、こうなりたいと言うことは、まずなかろう。口には出さぬ無言の圧力によって、己れの出世欲など俗物根性丸出しの欲望を満足しようとしていたのである。新聞報道によると、村上春樹は、最近、北欧のどこかの国で講演を行ったそうである。北欧くんだりまで、よくも行ったものだ。間抜け面をぶら下げて。ハハハハハ。
 ノーベル賞というものは、威しや自己宣伝で受賞者を決定するのだろうか。アウンサン・スー・チーやマザーテレサが威しや自己宣伝で受賞したとは、とても思えないのだが。そうだ、大江健三郎だ。おい、大江。おまえ威したのか、威していねえのか。いったい、どっちなんだ。うむ?何だって?もっと、はっきり言ってくれないかなあ。え?なになに?おらも河合ファンになっちまっただからなあ、だと?この野郎、訳の分からねえことをぬかしやがって。

10012011


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