駅長―右よし。左よし。指差確認よーし。
河合隼雄―あのう。もしもし、駅長さん。
駅長―はいはい。何ですか?
河合―ちょっと、つかぬことをお尋ねしますが。
駅長―はいはい、何なりとどうぞ。
河合―あのう。つまりですね。そのう。地獄行きの列車は何時発でしょうか?
駅長―地獄行きですか?えーと。何時だったかな。ああ、そうそう。思い出しました。今、わたしが見送ったばかりでした。ほら、あそこに赤いテールランプが見えるでしょう?あれが地獄行きの特急“針の山エクスプレス”ですよ。
河合―ありゃ。えらいことしてしもた。乗り遅れてしまいましたわい。
駅長―それはそれは、お気の毒なことで。
河合―次は何時の出発になりますか。
駅長―この次はですね。えーと。天国行きの特急“スーパーエンジェル”号なら二十分ぐらいで出るのですがね。地獄行きの出発はと。ああ、そうそう思い出しました。一年後の今日のちょうど今の時間になります。
河合―ええ?一年後ですかい。ありゃ。大変なことになってしもた。閻魔はん、怒らはりますやろか。
駅長―そりゃ、一年も遅刻すれば誰だってカンカンになるでしょう。
河合―わあ。クワバラ、クワバラ。せっかく切符を買ったのに。どうしたもんでしょうかね。
駅長―ちょっと、その乗車券を拝見。どれどれ、「現世から地獄ゆき。グリーン乗車券。」あれ。おかしいな。地獄行きにはグリーン車は連結していないはずですがねえ。天国行きなら、つないでいるんですよ。誰から買ったんですか?この乗車券。
河合―駅の出札窓口の駅員さんからですわ。駅員さんもグリーン車はない、の一点張りだったんですがね。そこはあんたはん、百戦錬磨のあっしですさかいにな。ちょっと万札を握らせてですな。ヒッヒッヒ。
駅長―これはこれは。どうも。品のよろしい笑いかたで。しかしですな。グリーン車がないのに切符だけグリーン乗車券を持っていても、これは、いかんともし難いのではありませんか?
河合―そこのところを、ひとつ何とかなりませんでしょうかねえ。わしぁね。東京と往復する時はいつも新幹線のグリーン車を利用していたんですわ。すっかりグリーン車に慣れてしまいましてな。この年になって普通車に乗るのは、あんまり酷だと思いませんか?
駅長―ああ、そうですか。ずいぶんとお金をお持ちのようですな。
河合―そりゃ、あんたはん。文化庁長官の高給でっしゃろ。その上、毎月、印税がガッポリですさかいにな。世の中には、なけなしの金をはたいて、わしが適当に口からでまかせで書いた本を買ってくれるアホが、ごまんといるんですわ。ヒッヒッヒ。
駅長―これはこれは。またまた、品のよろしい笑いで。だけど、ないものは、これはどうしようもありませんなあ。
河合―あんた、駅長さんでしょう?
駅長―はいはい。わたしは確かに駅長ですよ。
河合―そこんところを、何とかならんもんでしゃろか。
駅長―いくら駅長でも無理ですな。ちょっとね、袖口から一万円札を忍び込ませても、駄目なものは駄目ですな。
河合―それなら、どうでしょうか。天国行きのグリーン車のほうに乗せてもらうわけにはいきませんかねえ。
駅長―ちょっとねえ、お客さん。ドサクサに紛れて変なことを言わないでください。あっ。分かった。天国行きの特急列車に、こっそり潜り込んでやろうと考えているんでしょう?
河合―・・・・
駅長―まったく油断も隙もありゃあしない。いけませんよ。そんなけしからん料簡では。そうだ。駅員たちに人相書きを配って注意するように言っておかないと。
河合―それじゃあ、まるで指名手配ではありませんか。あーあ。困ったなあ。こんなことになるなら、河原町で一杯飲るんじゃなかった。
駅長―河原町ですか?賽の河原のことで?
河合―いえいえ、違いますがな。京都の河原町ですがな。
駅長―へー。そいつはうらやましい。おひとりで?
河合―いえいえ。友達二・三人とですがな。
駅長―ほほう。ということは、お友達が歓送会を開いてくれたわけですね。
河合―ちょっとね。駅長さん。いくら何でも歓送会はないでしょう。
駅長―あっ。これはこれは。失礼いたしました。
河合―それでね。そのうちのひとりが、デエサクなんですわ。こいつはね、いかれた新興宗教の教祖みたいなのをやっていましてね。こいつがまた、女好きの、勲章好きときてるんですわ。
駅長―ほほう。
河合―駅長はん。ちょっと想像してみてください。真夜中に部屋中に外国の勲章を並べて、ニターリ、ニターリとしているのと、真夜中に燈明の油をペローリ、ペローリと舐めているのと、どっちが気持ち悪いですか。
駅長―そうですねえ。わたしは結構、油を舐めるのが好きでしてねえ。胡麻油なんか、おいしいですよ。
河合―駅長さん。あんたと話していると、どうも話の腰を折られるようで、いけませんなあ。
デエサク―おい、こら。ハヤオ。見ず知らずの駅長に俺の秘密をばらすな。馬鹿野郎。
河合―わあ。出たあ。
駅長―あれは。誰ですか?
河合―デ、デエサクですがな。(ブルブル、ガタガタ)
駅長―ほう。あのひとが。確かに助平そうなお顔ですな。
河合―そうでしょう?本当に助平なんですわ。
駅長―それで、あのど助平爺さん、いつお亡くなりになったのですか?
河合―え?お亡くなり?いや、まだ死んではいません。
駅長―死んではいない?そうすると、さっきのあれは何ですか?
河合―さあて。何でしょうかねえ。幽霊でもないし。
駅長―まだ生きているのだから、幽霊ではありません。そうすると本物の幽霊は、どちらでしょうかねえ。
河合―本物?本物は、・・・・。どちらかと言うと、このわしのほうではないでしょうか。
駅長―でしょうな。それにしても、まだ死んでもいないのに、幽霊のところに化けて出るとは。いい度胸しておられますな。いやな世の中になりましたなあ。
河合―まったくで。本当にせちがらい世の中になりましたなあ。これでは、幽霊としてのアイデンティティの確立が難しくなりますわ。
駅長―おや。ずいぶんと難しい言葉を知っておられるようで。
河合―へっへっへ。いやね。
駅長―それで、河原町の飲み会のほうは、どうでした?
河合―いや、それがね。まるでお通夜みたいにしんみりとした飲み会でしたわ。
駅長―ええ?それは、つまり。お客さんのお通夜ではないでしょうか。
河合―あっ。そうか。あれはお通夜だったのか。道理で、陰気な暗い飲み会やなあと思ってましたわい。いやね。本当のことを言いますとね。わしは、ただ横で、横になっていただけですさかいにな。ちょっと、眠たかったもんやさかい。
駅長―でしょうとも。でしょうとも。
河合―結局、わしだけ、一滴も飲んでいないんですよ。あんな飲み会、初めてですわ。
駅長―でしょうとも。でしょうとも。
河合―普段はもっと盛大にやるんですよ。ただね、おなごはんのいる酒場には行けませんわ。
駅長―ええ?どうしてですか?
河合―どうしてって。ほら。女好きのデエサクのやつも一緒でしょ。傍でね。「外国の勲章をいっぱい見せてあげるからさ。ねえ、僕んちに来ない?」とかなんとか言ってたら、あんたはん、落ち着いて酒なんか飲んでられまっか?
デエサク―おい、こら。ヘラサギ。見ず知らずの駅長に、俺のことをペラペラしゃべるなと言ってるだろ。馬鹿ったれ。
河合―わあ、また出たあ。(ブルブル。ガタガタ)
駅長―何もそんなに震えなくても。顔色が真っ青ですよ。幽霊なんですからね。もっとしっかりしてもらわないと。
河合―そんなこと言ったって、駅長はん。まだ新米の幽霊ですさかいに。
駅長―それで、ヘラサギとか言ってませんでしたか?ヘラサギとは何ですか?
河合―ああ、それはね。わしのことですわい。何にもないのに、いつもひとりでヘラヘラ笑っている詐欺師という意味ですわい。
駅長―ほほう。成程、成程。
河合―もう飲み会の話はやめときましょう。話題を変えませんか。ねえ、駅長さん。お願いしますよ。
駅長―ええ?何の話ですか?
河合―だから、グリーン車。
駅長―また、その話ですか。だからねえ。駄目なものは駄目なんです。
河合―そこんところを無理にお願いしているんではありませんか。ねえ。お願いしますよ。天国行きの列車のところに行って、ちょっくら失敬、と1両借りてくれば済む話ではありませんか。
駅長―そんな簡単な話ではありません。
河合―駅長はん。あんたの権限でやればいいでしょう。
駅長―あのね。駅長といっても、そんな権限はありません。
河合―すると何ですか。駅長というのは、いわゆる名ばかり管理職なんですか?
駅長―いや、いや。そういうのとは。
河合―あーあ。
駅長―ところで、お客さんは何のご商売ですか?
河合―わしはね、心屋ですわい。
駅長―心屋さん。ほほう、それはまた変わったご商売で。どんなものを販売しておられましたか?
河合―わが社の主力商品はね、“ユング印の阿呆マンダラ”ですわい。
駅長―ほう、“ユング印の阿呆マンダラ”。売れましたか?
河合―まあ、ぼちぼちでんな。
駅長―それは、どんなものですか?
河合―まあ、言ってみれば、絨毯に模様がありますやろ。その模様みたいなものですわい。
駅長―はあ、そうですか。人に踏みつけにされるものですな。
河合―何とおっしゃる。そんなことはありまへん。
駅長―他にはどんなものが?
河合―そうですな。変わったところでは、“ユングの屁の瓶詰”というのがありますな。
駅長―ほほう。それはまた不思議な商品ですな。
河合―これを売るためにですな。大々的なキャンペーンを張りました。テレビやラジオのCMや、新聞広告で盛んに宣伝しましたわい。「落ち込んでいる人やすっかり自信をなくしてしまった人に、この一本。“ユングの屁の瓶詰”を開けて、家族みんなで嗅ごう。おじいさんも、おばあさんも、おとうさんも、おかあさんも、おにいさんも、おねえさんも、それからぼくもわたしも。これ一本でたちまち元気になれまーす。周りの人が、みんな馬鹿に見えてきまーす」とね。
駅長―ほほう。それで売れましたか?
河合―それがね。さっぱりですわ。
駅長―やっぱり。
河合―色々と趣向を凝らしてみたんですがね。玉ねぎ風味とかにんにく風味とかね。
駅長―はあ。それでも駄目ですか。
河合―あきまへんなあ。
駅長―だけどね、お客さん。ちと妙ではありませんか。ユングとかいう人は、もう何十年も昔に亡くなっているのではありませんか?そんな人のオナラを、一体どうやって採取したのですか?
河合―へっへっへ。それはね、企業秘密ですわい。
駅長―変だなあ。そんなことできるわけがありませんよ。
河合―あのね、駅長さん。エジプト考古学ではね。今、大論争が行われているのですよ。どうやって、ミイラから屁を取り出すか、ということがね。
駅長―本当ですか?
河合―そのうちに、“ツタンカーメン王の屁の瓶詰”という商品を売り出す業者が出てくるでしょうな。
駅長―ええ?なんか胡散臭い話だなあ。
河合―いやね、胡散臭いではなくて、本当に臭いのですわ。だけど駅長さんね。古代のエジプトの王様がですよ。どんな臭いの屁をこいていたかということを考えておりますとな。歴史のロマンを感じませんか。
駅長―ええ?いやあ。わたしは別に。
河合―そうですか。それは残念ですなあ。
駅長―それにしても、どうも、おかしいな。あっ、分かった。それはユングではなく、お客さんのオナラでしょう。
河合―いやあ、駅長さん。その先の先を読む先見の明、深く鋭い洞察力。恐れ入りましたなあ。
駅長―いや、これは、どうもどうもです。だけどね。まだ分からんことがあるのですがね。それで、そのにんにく風味というのは、どうやって味付け、というか臭い付けされるんですか?
河合―それはね、簡単ですわ。わしがね、朝から晩までにんにくばかり食っているんですわ。そうするとね、数日で屁の臭いがにんにくの臭いになるんですなあ。
駅長―ほほう。
河合―ところがね。ここでひとつ問題が出てきましてなあ。京大の学生どもが、ギャアギャア騒ぎよるんですわ。臭くてわしの講義なんか聞いておれんと言うのですわ。生意気でやんしょ?
駅長―ほう。
河合―あ、いや。これはね、にんにくの話ですよ。屁じゃありませんよ。そこんところを、お間違えのないように。
駅長―はい、はい。間違えたりなんかしません。それで、心屋さんになる前は、何をしてらっしゃったんですか。
河合―心屋の前はね。数学屋ですわい。
駅長―ほう。そうすると、心屋さんの前は頭屋さんだったわけですね。
河合―うまい!おい。駅長さんに座布団1枚やっとくれ。
駅長―これは、これは。ああ、ちょっと、その履歴書を見せてください。あれ?おかしいな。頭屋さんの経歴のところが、抹消してありますけど。
河合―ああ、それはね。そこんところの経歴が、気に食わんもんですさかいにな。書き換えてやろうと思っているんですわ。屋台で綿あめ売っていたことにしてやろうと思いましてな。
駅長―だけどねえ、お客さん。これは閻魔様に提出なさる履歴書でしょう?勝手に書き換えたりなんかして、いいもんでしょうかねえ。
河合―なあに。構わしまへんがな。
駅長―そうでしょうかねえ。お客さんは、屁をおこきなさるのが結構お上手なようにお見受けしますが?
河合―そうですなあ。達人と言ってもよいでしょうねえ。
駅長―ほほう。“ユングの屁の瓶詰”以外に、これまでにどのような屁をおこきになったんですか?
河合―そうですなあ。まず、“ウソツキ退職”っ屁というのを、ぶち上げましたなあ。
駅長―ほう。“ウソツキ退職”っ屁。
河合―これをな、2発ぶっ放しましたわい。まあ、イタチの最後っ屁みたいなもんですけどね。
駅長―イタチの最後っ屁、2発も。それから、どのような屁を?
河合―そうですなあ。極めつけは、何と言っても“心のノート”っ屁でしょうかねえ。
駅長―“心のノート”っ屁。
河合―はい。これはね、日本中のガキどもに、わしの特盛の臭い屁を思いっきり嗅がせてやりましたわい。へっへっへ。
駅長―日本中のお子様方に。特盛の?それはそれは。大したもんでございますなあ。
河合―へっへっへ。駅長さんね、お願いしますよ。
駅長―え?何ですか?
河合―だから、グリーン車。
駅長―まだ、そんなことを言っているのですか。駄目ですよ、お客さん。臭いグリーン車を走らせたら、当社のお客様が減るではありませんか。
河合―ありゃあ。しくじってしもたわい。それじゃあね。ちょっとお聞きしますがね。天国行きの切符を持っているのに、地獄行きの列車に間違って乗ってしまう間抜けなやつはいませんか?
駅長―そうですねえ。ひとつの列車に一人や二人は大抵いらっしゃるようですよ。
河合―ほほう。それで、そのお間抜けさんたちは、どうなります?
駅長―どうなるのでしょうね。とにかく、地獄駅に近づくと、こんな車内放送があるんです。「特急“針の山エクスプレス”号をご利用いただきありがとうございました。まもなく終着、地獄駅に到着いたします。お降りの際は、お忘れ物のないようご注意ください。特に神棚、失礼しました、網棚の上、座席の下、お隣に座っていらっしゃるお客様のポケットやハンドバックの中を、ようくご確認ください。なお、当駅のホームには、ところどころ落とし穴が仕掛けてございます。とは言え、足元ばかりに気を取られすぎていますと、天井から何やら得体の知れない物が落ちてくることがあります。くれぐれもご注意ください。それでは皆様、本日の御乗車ありがとうございました」とね。それで、やっと乗り間違えていたことに気が付くんですなあ。さあ、それからが大変。大騒ぎになるんですよ。
河合―ふむふむ。成程、成程。
駅長―あっ、お客さん。まだ、よからぬことを考えているのでしょう。身代わりとか、なりすましとか、すり替わりとか。河合―・・・・。
駅長―いけませんよ、そんな不届きなことを考えては。どうせね、うまくいきませんよ。
河合―ああ、そうだ。駅長さん。今度の天国行きの特急は、いつ出るんですか?
駅長―天国行き?ええと、今何時かな。あっ、いけない。天国行きの出発時刻が、もう1時間以上も過ぎている。大変だ。わあ、また神様に大目玉を食ってしまう。それではお客さん、このへんで失礼します。
河合―ハハハハ。すっとんで行きよった。そんなにあわてたら、お客とぶつかるがな。おっと危ない。あーあ、転んでしもうた。