2013年9月4日水曜日

自らの手で葬り去る

 胸の底で、音楽が高鳴っていた。子供の頃、ひとりで田舎の畦道を歩いているときのことである。ロシア民謡のともしび、アイルランド民謡のグリーンスリーブス、フォーレのシチリアーノ、べサメ(あの有名なべサメ・ムーチョとは全く異なる曲である。ジャンルとしては、ボサノバに属するのではないか。レイラ・ピニョイロが歌っていた。愛が芽生える瞬間を見事にとらえた歌だと思う)、時計(ラテンの曲)などである。あの時、全世界を手に入れたような心の高ぶりを感じていた。「后の位も何にかはせむ」と、古代の文学少女が言い放ったのと相通じるものがあるだろう。
 胸の底で高鳴る曲は、大人になって,何十曲か新しく付け加えられた。町を歩いているとき、林の傍を通り過ぎるとき、ぼんやりと海を見ているときのことである。そうして、そのうちに、自分で作った曲も加わってきた。もしかしたら、作曲家になれるかもしれない、と思った。ともかく、胸の内で音楽が響き渡るということは、心を和ませる。
 ところが、僕はこの素質を、僕に一流の芸術家になりうる資格があるとすれば、自らの手で闇に葬り去ろうとした。A大学大学院における詐欺事件を思い起こす。どうやら、この邪教・悪魔崇拝のやつらに興味・関心を抱かれているらしい。もう、これでおしまいだと思った。この悪魔崇拝の輩は、芸術に深く関心を寄せながら、それとともに芸術の息の根を止めようとするやつらなのである。真の芸術は息絶えて、偽物ばかりが蔓延ることとなる。

 音楽のほかに、もうひとつある。高校生の頃から、文章がうまいと褒められてきていたのである。自分ではあまり自覚はなかったのであるが、やはりそうかもしれないと感じるときがある。若い頃には、作家になりたいと考えたこともあった。しかし、これも自らの手で息の根を止めてしまおう。

2013年9月2日月曜日

楚の項羽は四面楚歌の囲みを突破できるか

(このサイトのブログアーカイブでタイトルが並んでいますが、下から読んでいただいたほうがよろしいかと思います。)

愚や愚や、汝を如何せむ(漢字を間違えたのではない!)。
今、僕の胸の内で、石田三成と楚の項羽とがオーバーラップしている。歴史をひっくり返してやるぞ、という気概をもって、ことに当たっている。

中国が、ことの一部始終を見てくれている、ということに勇気づけられた。たとえ、この戦いに敗れて命を落とすとしても。中国の方々も、このサイトを御覧いただいているものと確信する。

砕け散る貝の火(旧版から)

砕け散る貝の火

 宮沢賢治に『貝の火』という作品があります。まだ若かった頃、私はこの童話を読んで強烈な印象を受けました。
  兎の子のホモイは、ある日、溺れかけているひばりの子を助けました。その功績によって、鳥の王からホモイに「貝の火」という宝珠が贈られます。ホモイは有頂天になります。貝の火が、あまりにも美しく、自分が偉い人物(兎ですけれども)になったことを表わすものだったからです。みんながホモイに敬意を表します。そのうちに、ホモイの心の中に傲慢な気持ちが現われてくるようになりました。弱い者を虐待したり、悪賢い狐の誘いに乗って、結果的に狐の悪巧みに荷担したりするようになります。持ち主の心を映し出す鏡のような働きも兼ね備えている貝の火は、それでも暫くのうちは、美しく燃えています。最後の決定的な破局を迎える直前には、特に美しく輝いていました。狐の悪事が次第にエスカレートしていって、その残虐極まりない行いに対して、ホモイがそれを制止することができず、却って狐に威されて逃げ出してきた時、貝の火は砕けて飛び去ってしまいました。そして、その粉がホモイの目の中に入って、物が見えなくなってしまいました。
  以上がこの童話のあらすじです。最後のところで、ホモイの貝の火が砕け散ったことを見ていたふくろうが、「たった六日だったな。ホッホ。たった六日だったな。ホッホ。」とあざ笑って言う様子が私の心に鮮明に焼きついています。
  これは恐ろしい話です。宗教的な体験の恐ろしさが良く表われていると思います。神に出会う経験(キリスト教の牧師が、「私は、○○歳の時に、イエス様にお会いしました」と言うときの、その経験。仏教で言えば、悟りや涅槃。)は、それに至るまでの道のりが遥かで厳しいものなのですけれども、そこに至り着いてから(神に出会ってから)の後にこそ、さらに自分自身を厳しく律し続けていかなければならない、ということを暗示しているのではないでしょうか。超越的な経験をしたのだから、それですべてが楽になる、というものでもないようです。むしろ、それからが大変なのかもしれません。私は、前回のPARTⅢで、超越的な体験について薄手の陶磁器の例えを引き合いに出しましたが、それにはこの貝の火のイメージの影響があったのかもしれません。ひとたび神を垣間見たとしても、それからもずっと傲慢さや俗物根性に細心の注意を払っていなければならないのです。超越的体験をした者が、もしも傲慢さや俗物根性の虜になってしまったら、貝の火は砕け散って、どこかに飛び去ってしまうのです。
  ここで、とても気がかりなことが一つあります。神を垣間見るような宗教的体験をした者が、傲慢さや俗物根性にとらわれても、それで直ちに貝の火が砕け散るのではないということです。時々、傲慢不遜な心のありようによって、一点、曇りが生じたりすることもありますが、また逆に、却って美しく輝いているように見えることさえもあるのです。これは実に不思議なことなのですが、現実がどうもそういうことらしいのです。貝の火の持ち主の心の変化(原因、つまり傲慢さや俗物根性へのとらわれ)と、貝の火の様子・状態の変化(結果、つまり貝の火が砕け散ってしまうこと)との間には時間的な開きがあるようなのです。賢治の童話の世界では、その時間差はわずか数日のことなのですが、実際には、「年」という単位なのかもしれません。もしもその単位が「数十年」という長いスパンだとしたら、これは恐ろしいことになります。その間に、どんなことになるのでしょうか。超越的な経験をしておりながら、傲慢さや俗物根性にとらわれて、折角の超越的経験の本質が既に変質してしまっている者が、悪事をなす時間を与えてしまうことになるのではないでしょうか。その悪事は、「わしは世の愚民どもの救済者である」という御旗を掲げてなされるのです。学校を舞台にして凄惨な事件が起きた時、心の痛手を被った子供たちに関して、日本のユング思想の第一人者が、「誰でもが治る可能性を持っている」と、ユンギアンとしては訳の分からぬ発言をしたのは(個性化などというものは誰にもできるわけがない)、このことと関係があるのではないでしょうか。ユンギアン達はこの思想がなければ自分はこの世でやっていけないと考えているがゆえに、他の人々はどうしてこのような結構な思想の信者にならないのだろうといぶかしく思っています。これは、まさにカルト的な新興宗教教団の信者の心性と同じものです。ですから、その時間差の間に何をしでかすか分からないのです。
  さらに、この時間(原因とその結果が生じるまでの時間の開き)において、偽物の超越的経験をした者がその子分を増やし、その子分たちがまた新たに子分をどんどん増やし続けているとすれば、これは一体どういうことになるのでしょうか。何か取り返しのつかないことが、臨床心理学界において生じているのではないかという気がしてなりません。
2006223日)


満ち足りた気分で仏像を彫ってはいけない(旧版から)

満ち足りた気分で仏像を彫ってはいけない

 ユンギアンになると、どうした訳か俄然芸術に興味を持ち出す。そう言えば俺は、若い頃、芥川龍之介や夏目漱石に読み耽っていたことがあったなあ、終日、モーツァルトやバッハに夢中になっていたものだ、と思い出すのである。それで考える。俺は芸術の真の理解者なのではないかと。しかし、そんな経験は誰にでもあることなのだ。こうしてユンギアンが世に蔓延るとともに、偽の芸術愛好家が増えることになる。
  河合隼雄の弟子である氏原は、作家になりたいと自分の著書で書いている(氏原寛著『カウンセリングの枠組み』ミネルヴァ書房刊)。中学生の作文に毛の生えたような文章を書いておきながら、作家になりたいそうである。これは仲間うちや身内の間で話していたのではない。カウンセリングに関する書物の中で、公言していたのである。執筆当時から、既に10年以上は経過しているであろうが、いまだに芥川賞を受賞したとか、新作の小説を発表したとかというような話は聞いたことがない。要するに、気違いのたわ言であった。もっとも、何の文学的素養もない、芸術的な薫りもない文章を書いているのだから、作品を発表するなど不可能であろう。出版社の心理学担当の性悪な編集者にでもおだてられたのだろうか。「いやあ、蛆虫先生の文章はすばらしいですなあ。名文ですなあ」と。豚もおだてりゃあ、木に登る。蛆虫もおだてりゃあ、空に舞い上がる。(これに反して、河合隼雄の文章はうまいかもしれない。だが、文学的には何の価値もない。)超越的な世界からの賜物をこの世界で利用してやろうなどと考えるから、このような情けないことになるのだ。
  ヘルマン・ヘッセは、CG・ユングと出会ってから、ろくな小説を書けなくなった。ユングがヘッセの文学に多大な関心を寄せてしまったからだろう。創造の泉は生き物である。泉はどのようにして湧き出でているのか、を突き止めようとして掘り始めるとき、泉は涸れる。ヘッセは精神的な“充足感”と不安からの解放と引き換えに、創作力を手放した。
  村上春樹は、大変な人気を博しているが、真の文学者ではない。河合のファンでありながら、真の芸術家でもあることはありえない。生前に絶大な人気があっても、死後に完全に忘れ去られてしまう偽の芸術家は、いくらでもいる。芸術家が、創造の扉を開く万能の鍵を手に入れたのだと有頂天になったとき、すべての扉は永遠に閉ざされる。芸術家の創作能力は息絶える。芸術家がユンギアンならば、その鍵は無意識(集合的無意識)や夢にあるとみなすだろう。その推察が正しいか否かは、どうでもよい。仮に正しいとしても、このことは当て嵌まる。その万能の鍵は、ただの鉄くずになってしまって、もはや用をたさない。創造の扉は、もはや開けることができなくなる。創造の源泉を特定することに成功したのだと確信すれば、その源泉は涸渇するのだというジレンマがあるのである。CG・ユングなどというキチガイじみたクソ爺が出てきたからいけないのだ。やつの考え方が芸術家の間ででももてはやされるものだから、現代の芸術は不毛になってしまった。現代は、芸術の暗黒時代である。
  仏師が芸術家たらんとすれば、満ち足りた気分で仏像を彫ってはいけない。芸術を生み出すのは、調和でも充足でもない。それとは対極的な何かである。たとえ調和や充足を表わしている芸術作品であるとしても、その創作のエネルギーは、調和や充足ではない(この場合、仏像の宗教性については度外視する。)仏師が一流の芸術家ならば、これから彫る仏は、一体どこからやってくるのだろう、ちゃんと俺の目の前にその姿を現わしてくれるのだろうか、と訝り、一抹の不安にとらわれながら彫り始める。偽者の芸術家は、創造の扉を開ける鍵を手中にしているからと意気込んで創作に取りかかる。しかし、その偽者の仏師が彫った仏像は、心の眼をもって見れば仏の顔をしてはいないだろう。芸術の創造において、万能の鍵を手に入れようなどと安易なことを考えてはいけない。創造の泉を意識すれば、芸術は生み出せないのである。
  注意しなければならないのは、偽の芸術愛好家たち(ユング派)は、芸術を駄目にし、最悪の場合、芸術の息の根をとめてしまうおそれがある、ということである。つまり、この偽の芸術愛好家たちは、この芸術作品は無意識(集合的無意識)とどのような関わりがあるだろうかとか、元型のどんな作用が作品に働いているのだろうかとかというような視点でもって芸術作品を鑑賞するだろう。このような視点を持つことそれ自体が、鑑賞者をして芸術から遠ざけることになるのである。これは何も芸術だけに限ったことではない。人生全般において、そうなのである。ユング派固有の基本的態度や考え方を身につけてしまったならば、愛や喜び、悲しみや苦しみなどから人を遠ざける。ユング派独特の基本的態度や考え方をもって人生を見るならば、人生そのものが借り物になってしまう。それは、人と人生の様々な事象との間に、薄い被膜、どんなに破ろうと努めても決して破れない隔壁のような膜ができたようなものである。
2011110日)


悪魔との戦い(旧版から)

悪魔との戦い

 ホームページの下の箇所で書いた、ご意見を寄せていただきたいということに関しては、このようなタイプの悪魔どもと戦うにはどうしたらよいか、についてもご意見をお聞かせ願いたい。悪魔といっているのは、超越的世界からの賜物を現世で利用しようとしているからである。これこそが堕天使なのである。堕ちた天使とは悪魔のことである。(参考文献、悪魔と戦う:ミルトン『失楽園』、バニヤン『天路歴程』および各国の民話)(なお、『天路歴程』の中に、僕が主張しているのとほぼ同内容の記述があるのに気づいた。「パンの塊のためにキリストに従ふことが正しくないとすれば(ヨハネ伝の第6章にあるやうに)、まして況やキリストと宗教を一種の忍び駒[註。狩人がその陰にかくれて獲物に近づくための馬、木で造つたものもあり、本物を用ゐることもある。]に使つて、俗世間を手に入れたり、楽しんだりしようといふのはどれだけ嫌はしいものであるか分りません。又、私どもは異教徒か、偽善者か、悪魔か、魔法使のほかにさういふ意見をもつてゐる者を発見しないのす。」(竹友藻風訳 第一部 221頁)(ちなみに、僕はキリスト教徒ではない。)

 ところで僕は、村上春樹は読まない。宮崎駿のアニメも観ない。どちらもユング・河合の大ファンであるらしい。芸術とは人間が作り上げたものである。コンピュータ仕掛けのロボットみたいなものが制作したものは、何の意味もない。たとえ外国においてさえ、もてはやされていようが。だから、ヘルマン・ヘッセへのノーベル文学賞の授与は間違いであった。ヘッセがユングと出会う前の作品が、ノーベル賞の対象であるならば、話は別かもしれないけれども。(アニメを芸術に含めるのは若干無理があるかもしれないが、今は仮にそうしておく。)     
 (2010717

 

河合隼雄、「心のノート」で模範授業を行う(想定場面)(旧版から)

河合隼雄、「心のノート」で模範授業を行う(想定場面)

(河合は「心のノート」作成後、実際に模擬授業を行い、自らを「心の先生」と呼ばせていたという。)

担任――それではみなさん。今日は、偉い偉い心の先生に模範授業をしていただきます。みんなしっかりと「心のノート」でお勉強しましょう。それでは河合先生、よろしくお願いします。
河合――エッヘン。わしが今ご照会にあずかった河合隼雄じゃ。もと京都大学教授で今はな、エッヘン文化庁長官じゃ。家にはわしが書いた本があるじゃろ。テレビでも、わしの顔ぐらいは見たことがあるじゃろう。つまり、わしゃあ有名人じゃな。政府の審議会などでも委員になっておるし、座長はんも務めた。
児童A――心の先生。
河合――うむ?何じゃ。
児童A――「シンギカイ」て、なんですか。
河合――審議会か。審議会というのは、つまり政治家という者はだな、総理大臣もそうじゃが、みんな頭の中が空っぽのやつばかりなのじゃ。それでじゃ。何か重大なことが起きて解決が迫られても、やつらはな、どうすればよいのかさっぱり分からんのじゃな。だから、ただうろうろ、おろおろするばかりじゃ。それでじゃ、天下の賢人達を呼び集めてじゃな、「賢人の皆様方、わしあどうすればよいのか見当もつきません。どうか賢人の皆様、わしにどうすればよいか、教えて頂戴」と、頭を下げるんじゃ。それが、審議会というもんじゃ。
児童B――心の先生。「ケンジン」って、なんですか。
河合――おお。中々、いい質問じゃのう。賢人というのはな。そうじゃなあ。みんな、わしの顔をじっと見てみなさい。みんなが今見つめている顔。この顔が賢人様のお顔じゃ。ようく、覚えておきなさい。
児童全員――ハーイ。
河合――それでは、「心のノート」の47ページを開きなさい。この「心のノート」はだな、何を隠そうこのわしが作ったものじゃ。どうじゃ、立派な道徳の教科書じゃろう。何しろ賢人様であるわしが作成したのだからな。それでは、みんな、嘘をついてはいかんぞ。嘘をついたらな、閻魔様に舌を引っこ抜かれるぞ。みんなの中で、最近嘘をついた人はいるかな?
児童多数――ハイ。ハイ。
河合――何じゃ、仰山手が上がっておるわい。なかなか活発な・・・・待てよ。これはちょっとまずいな。担任が悪いのではないのかな。ようし、このことは、文相の遠山のウバ桜に報告しておこう。
担任――アッ。お代官様。いや、長官様。どうかそれだけはご勘弁を。
河合――それでは、C子さん。どんな嘘をついたのじゃ?
児童C――わたしは、きのうおかあさんからスーパーで買いものするようにたのまれました。それで、おかあさんにかえすおつりをごまかして、かえりにアイスクリームを買って食べました。
河合――何じゃと。何という情けないことをするのじゃ。ああ、嘆かわしい。これでは将来が思いやられるわい。だいたいな、人を騙してじゃな、自分が利益を得ようとするその根性が卑しい、腐っておるわい。そんなことをしているとな、魂が汚れるぞ。
児童D――心の先生。
河合――何じゃ。
児童D――天理高校をうそつきたいしょくするのは、どうなんですか?
河合――ああー。つらいのう。それを言うな、横山。
児童D――あのう。ぼく、そんな名前では。心の先生。どうして、ハンカチをくわえているんですか。
河合――し、舌が。ううッ。バッタン。
児童全員――たいへんだ、たいへんだ。心の先生がひっくりかえったぞ。あっ。口から血が出ている。

(ユング心理学において完全に欠落している観念がひとつあります。罪の意識とか罪責とかと言われるものです。人が悪事をなせば、いずこからともなく立ち現われてきて、人に償いをせよと迫る恐ろしい神の観念が脱落してしまっています。この恐ろしい神のイメージは、ユング心理学の用語である“集合的”という言葉に照らせば、あきらかに集合的なものであるはずです。それなのに、ユング心理学はこの観念を完全にオミットしているのです。精神分析的には、無視し置き去りにしたものにこそ由々しき意味があると考えられるはずです。河合とて例外ではありませんでした。「ウソツキクラブの会長」などという情けないことを公言していたとき、河合の心の底に地下水のように貯留していたものが、一部噴出していたのでしょう。ユング心理学において、個性化を果たし、セルフの出現をみることと、この恐ろしい神との関係は一体どうなっているのでしょうか。セルフの出現による心の安寧とは、果たして本物なのでしょうか。
  もしもこの恐ろしい神が消滅してしまえば、そして悪事をなしても罪の意識にさいなまれることがなくなれば、どんなに幸せになれるだろうと人ははかない夢を見るかもしれません。けれども、そのようになってしまった社会(悪事をなしても罪の意識を感じない者が充満している社会)は、もう人間が住めるような社会ではないということは言うまでもありません。人類が生存していくためには、怖くていやだけれどもこの神がどうしても必要なのです。たとえそれが、CG・ユングの言うような「人間性を拡大」するのとは対極的な、人間性を縮こまらせるものであったとしても。それを完全に無視しているいわゆる「心理学」なるものが、本物ではないことはあまりにも明白なのではないでしょうか。)
2007101日)

2013年9月1日日曜日

河合隼雄の犯罪

「河合隼雄の犯罪」へのアクセスが非常に多いようですが、「那須与一、将に射むとす」(10月18日付)のほうが分かりやすく整理してあります。できれば、そちらのほうを御覧ください。“ウソツキ退職”と名づけたのは、河合(Hayao Kawai)が自らを“日本ウソツキクラブ会長”と名のっていたからです。ふざけた、人を馬鹿にした人物ではありませんか。こんなやつが、道徳の副教材“心のノート”を作成したのですよ。しかも、それを多額の税金を使って日本の子ども全員に配布したのです。信じられますか。子ども達のことを一向に構わないで、ゴロツキを優遇し援助する国。これでは、日本という国は、ふざけた始末の悪い国ということになってしまいますね。世界中から軽蔑されるのではないでしょうか。)

以下、「那須与一、将に射むとす」から
 ここで河合隼雄(Hayao Kawai)のウソツキ退職について、もう一度整理しておこう。河合は奈良の勤務高校在職中に、昼間の京都大学大学院に進学した。大学院進学にあたっては、次のように申告しなければ認めてはもらえないだろう。「大学院で習得した知識やスキルを、将来本校の生徒指導等に役立てたい」と。勤務高校は、しぶしぶと許可した。「しぶしぶと」というのは、河合が勤務しながら昼間の大学院に通学することによって、担任業務、校務分掌、生徒指導、部活動指導などに支障が出るからである。ただでさえ忙しい他の同僚に穴埋めしてもらわなければならない。このようにして、給料ももらいながら大学院に通ったわけであるが、修了するやいなや高校を退職してしまった。そして、天理大学教授になった。だから、詐欺だと言っているのである。さらに、天理大学においても、同じ詐欺を繰り返している。この場合は、大学院進学ではなく、外国留学であった。こうして、京都大学教授になった。勤務高校が河合を告発しなかったのは、おそらくその管理者が、お人好しのボンクラだったからである。そのために河合は味をしめて、次の天理大学でも同じ詐欺事件を起こしたではないか。河合の犯罪には常習性がある。
 以上の事柄は、公になっている情報から読み取ったにすぎない。また、勤務高校を当初、天理高校と考えていたが、どうやら違うらしい。奈良育英高校が正しいのかもしれない。いずれにせよ、ある分野の第一人者であり、人気作家も顔負けするほどの売れっ子でもあり、文化庁長官にも就任した人物の勤務高校名がはっきりしないのは不可解である。河合が隠そうとしていたからである。そして、高校の教え子たちも、河合を嫌っていたからでもあるだろう。河合の教え子は、数千人いるだろう。高等学校だから、3年間に数百人の生徒を教えることになる。河合が、タレント以上の有名人になったにもかかわらず、教え子の誰ひとりとして河合の思い出話を語っていないのである。余程、冷酷で人間味のない温かみのない数学教師だったのだろう。後年、河合が悪魔になる素地は十分にあったわけである。
 このような人物に、道徳の副教材「心のノート」を作成させるとは何ごとか。


 日本の小・中・高の教員たちは、生徒が転んだとき、手を差し伸べようとする。それが、全人格的なものであるとき、自分の持っているものすべてを賭したものであるとき、そしてそれが生徒の心に伝わったとき、大抵の生徒は自ら起き上がろうとする。「さあ、自分の力で立ち上がりなさい」と言うだけでよいのである。その後は、ただじっと見守っているだけでよい。細々としたことを、教示する必要もあまりない。但し、これをカウンセリングをもって行おうとしては絶対にいけない。どんなに低姿勢、優しさを装おうとしても、相手はその傲慢さ・不遜さを敏感に感じ取ってしまうものである。

中国からは、早く来てくれと毎日、催促されている。学校は9月から始まるからである。しかし、僕は動きたくても動けない。手元には、飛行機代さえも残っていないからだ。
 この厳しい状況の中で、敢えて困難極まりない恐ろしい戦いを再開した。
 それでは、河合隼雄の詐欺犯罪について触れておく。以下は、旧版の「ユング心理学批判」からのものである。河合は、詐欺犯罪を二度も行なっている。勤務高校と天理大学においてである。なお、下記の文で、勤務高校となっているのは、元の文では、天理高校となっていたが、どうやら間違いで、他の高校であるらしい。だから、勤務高校に改めた。とにかくユング派は、犯罪行為・悪事を平気で行う奴らだ。ユング心理学こそ、人類の新しい福音を齎すものであると、盲信しているからである。



勤務高校はなぜクレームをつけなかったのか


 ここで河合の勤務高校嘘つき退職について整理しておきましょう。河合は十数年間、勤務高校に勤務しました。そして、ある人に「何か勉強していないと人間が堕落する」(1990年前後の朝日新聞に連載された河合が執筆した記事)と言われました。そこで河合は、仰せのとおり大学院に進学し、臨床心理学者を志すことにしたのです。いい年をした中年のオジサンなのに、何という自我のなさでしょうか。大学院進学が、河合のその後の人生を大きく変えました。人生で最も大切な職業選択を人に決めてもらっていたのです。そうして目指したのがカウンセラーでした。普通ならば、勤務高校を退職して大学院に通学するのが筋なのですが、河合はそうしませんでした。在職しながら大学院に通ったのです。最初、それは夜間大学院に違いないと考えたのですが、不思議なことに昼間の大学院だったようです。勤務高校に在職しながら、どうして京都大学の昼間の大学院にも籍を置けるのか、理解に苦しむところですが、とにかく河合は大学院に通いました。その際、勤務高校にありのままを告げたなら、勤務高校が許可してくれるはずがありません。そこで河合は、次のように申告しました。「大学院で学んだ知識やスキルを将来本校の生徒指導に生かしたい」と。そういうことならばということで、勤務高校はしぶしぶ大学院通学を許可してくれました。大学院に在籍していた間、河合は勤務高校のためにたいして仕事もしていないにもかかわらず(そもそも仕事をするのは物理的・時間的に不可能に近いでしょう)、ちゃっかりと給料だけは受け取っていました(休職していたわけでもないようです)。そして、いよいよ大学院修了という年に、河合は勤務高校を退職してしまったのです。常識的には、ここで勤務高校は河合に対してクレームをつけるはずです。場合によっては、大学院在学中に支払った給料全額の返還を請求してもよいでしょう。ところが、勤務高校はそうしませんでした。