2013年8月29日木曜日

復活しました

ユング心理学批判
(分析心理学批判)
Criticism against Jungian Psychology
(Criticism against Analytical Psychology)


 事情があって、一時閉鎖していた森山梧郎の「ユング心理学批判」を復活させます。元のサイトのコンテンツは、時間が許せば、おいおい掲載していきます。

戦国武将の石田三成がちょっぴり好きです。天下分け目の関が原の当事者の一方でありながら、あまりにも人気がありません。このままでは、やがて豊臣家は滅ぼされ、天下は家康のものになってしまう、と危機感を持った彼は、各地の有力大名に、家康打倒のため総大将になってくれるようにと懇願しました。しかし、みんなしり込みして誰も引き受けてくれません。そこで、彼は次のように考えました。「誰もやってくれないのなら、力量不足であっても、人望がなくても、この俺がやるよりしかたがないではないか。」
 僕は、ずっと待ち続けていました。誰か力のある人物が、この心理学の危険性に警鐘を鳴らしてくれることを。今、心理学畑、教育畑だけでなく他の分野にもこの心理学が浸透しようとしています。しかし、待てど暮らせど誰もこの心理学の恐ろしさについて強力な批判のキャンペーンを行ってくれる人物は現われてきませんでした。そこで僕は次のように考えました。「誰もやってくれないのなら、能力不足だとしてもーそんなことは、俺自身が一番よく知っている-この俺がやるよりしかたがないではないか。」
 このように考えて、このサイトを立ち上げました。


 ここで、旧「ユング心理学批判」の要約をしておきます。
 ユング心理学は、なぜ危険で恐ろしいのでしょうか。ユング心理学では、その個性化の最終段階において「マンダラ」(元型としての「自己」。Self)が夢の中に立ち現われてきたときに、すべてが一変します。ゆったりとした落ち着いた気分になり、心の病さえも治癒すると、ユング派では考えています。しかし、これはキリスト教における、神の恩寵による救済によく似ています。それでは、「マンダラ」は神なのでしょうか。CGJungは、「マンダラ」を神として認めることを、断固として拒否しました(CGJung著『自我と無意識の関係』)。そこで、私は主張し続けてきたのです。「マンダラ」は、確かに超越的な世界と関わりを持っている。それが神でないならば、悪魔であろう、と。実際に、ユング心理学においては、その個性化の初期段階において、元型としての「影」(自己の内なる悪なるもの)を同化しているのです。つまり、自我が悪を取り入れているのです。充分に、悪魔の資格があるではありませんか。実際に、ユング派は、悪を否定していません。ユング心理学で言う「治癒」とは、悪魔の恩寵による救済なのです。

森山梧郎

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