2013年11月7日木曜日

二の矢

二の矢

 「那須与一、引き絞って矢を放つ」で述べた、氏原寛がカウンセリングを受けていることを自分の著書で書いていることに関して、次の文章を付け加える。

 ユング派の薬は、万能薬ではないということを証拠立てる材料である。その治癒なるものは、本物ではないことを証明する証拠である。そもそもユング派における治癒は、超越的世界からの賜物(gift)であるからして、その治癒は盤石なものであるはずである。ユング派の個性化(individualization)においては、やったぞ、治った、治った、ユング様、河合様、万歳、万歳、となるか、ドツボに落ち込んでしまうかのいずれかである。つまり、all or nothingの治癒なのである。にもかかわらず、ユング派のカウンセラーである氏原寛が「恐ろしいことがあったために」スーパービジョンでもない、教育分析でもない文字通りのカウンセリングを受けていると自らの心理学関連の著書で述べているということは、ユング派の治癒がまがい物であることを自ら証明して公言していることになる。だから、こいつは馬鹿だと言っているのだ。

2013年11月5日火曜日

那須与一、引き絞って矢を放つ

那須与一、引き絞って矢を放つ

 僕は、河合隼雄Hayao Kawaiを殺したかもしれない。確証はないのであるけれども。2006年に河合のウソツキ退職について批判していた。するとその年の8月に、河合は脳梗塞で倒れたのである。無論、僕の攻撃が功を奏したのかどうかは分からない。
別の原因があったのかもしれないし、単に加齢のためだけかもしれない。しかし、それは文化庁長官の在任中の出来事であった。僕の批判が原因である可能性も否定し去ることはできないであろう。
 今、同じことを狙う。氏原寛Hiroshi Ujiharaは、長年それで飯を食ってきたロジャーズ派を裏切って、ユング派に寝返った。これだけをとってしても、この男は到底信頼することのできない人物であることが分かる。そればかりではない。そもそもカウンセラーなるものは、自己の拠って立つ立場を変えてはならないのである。宗旨替えしてはならないのである。何故なら、カウンセラーが宗旨替えをしたならば、宗旨替えをする以前の仕事が詐欺犯罪行為にすぎなかったことを自ら認め、公言したことになってしまうからである。要するに、ユング派に鞍替えした時点で転職すべきであったのである。カウンセラーの職にしがみついていてはいけなかったのである。それを未練たらしく、その職にしがみついているものだから、河合のように詐欺によって後年、手ひどいしっぺ返しを食らうことになってしまうのである。どうせ生涯の職業を、自分で決めることができないで、赤の他人に決めてもらっていた大人になれない低レベルな人物ではないか(氏原寛著『カウンセリングの枠組み』ミネルヴァ書房刊。14頁)。何故、拘る必要があるのか。
 そんなことだから、心理学関連?の自分の著書(氏原寛 前掲書)で、作家になりたいなどという訳の分からぬ戯言を抜かすようになるのである。中学生の作文かと思うような下手糞なひどい文章を書いておりながら作家になりいとは何ごとか。恥ずかしくないのか。
 また書名は忘れたが、自分の著書の中で、「カウンセリングを受けている」と書いている。カウンセラーがカウンセリングを受けるのは、当たり前ではないか。つまり、スーパービジョンとか教育分析と言われるものである。ここで、「カウンセリングを受けている」と言っているのは、スーパービジョンや教育分析のことではない。字義通りのカウンセリングなのである。それは、そうだろう。詐欺犯罪を犯しておれば、やっていけなくなることは目に見えている。そうして、それを自分の心理学関連の著書で言っているところが異常である。
 これが黄金の矢である。河合隼雄のように脳梗塞になって引っくり返って植物人間にでもなったらどうだ。それが世のため人のためになるではないか。

 矢ごろ少し遠かりければ、海の中一段ばかり打ち入れたりけり。
南無八幡大菩薩、願はくはこの矢はづさせ給ふな。
 光の矢ではなく、黄金の矢をつがえる。那須与一、引き絞って矢を放つ。


2013年11月4日月曜日

幻想の黒いオルフェ

幻想の黒いオルフェ

 「自らの手で葬り去る」の中の子どもの頃に胸の中で高鳴っていた音楽に、『黒いオルフェ』の「カーニバルの朝」を加えたい。どうした訳か忘れていた。他にも2・3曲まだ忘れているものがあるかもしれないが、面倒くさいから今はやめておく。
 映画の中では、男がギターの弾き語りでこの歌を歌っていると、隣に住んでいる娘が思わず曲に合わせて舞うのだった。
 僕はこの美しい曲を、ジャズ風にアレンジした。ただ、作曲者には失礼かもしれないが、メロディラインを少しいじった。上昇するところを下降に、下がっていくところを上昇するようにした。だから、変奏曲と言ったほうがよいのだろうか。静かで美しいこの曲を、情熱的な曲にしてみたかったのである。歌うのはサッチモの声だ。賑やかな演奏にしたい。ピアノが、歌手の旋律を奪い取ってしまうところもある。前半部分は、原曲そのままで静かに歌われる。そして、途中から賑やかになってジャズのようになる。
 Fly me to the moonも、日本の歌謡曲風に変奏した。メロディラインを変えたのは、「月に連れてって」ではなく、「君を月に連れて行こう」にしたかったからである。前半は原曲通りに、中間部が日本の歌謡曲風になり、とても賑やかになる。パーカッションに木魚を使いたいのだけど、どこかからクレームがつくかな。そして、後半部はオーケストラの演奏になる。宇宙旅行のような感じにしたい。宇宙船の操縦席の窓から、星々が次々に左右の後方へ流れていくのが見えるような宇宙の旅である。助手席には君がいる。向こうには、銀河が横たわる。そして、その遙かかなたに新世界が現れてくる。幻想のFly me to the moonである。なお、「前半は原曲通りに」と書いたが、「原曲」とは、フランク・シナトラの歌のことである。本当の原曲は、JAZZであるようだが、長い間このことを知らなかった。フランク・シナトラの歌のイメージが強すぎた。また、この変奏は、3部構成になったが、「バッハとブラームスとワーグナー」でタンホイザー序曲について述べた3部構成とも混同しないでもらいたい。「呈示の変容」ではない。あくまでも原曲に敬意を払っているつもりである。以上の2曲とも、僕が歌手になっていたら、当然レパートリーに加えていただろう。
僕は20曲以上の曲を今までに作ってきていると思う。歌曲数曲、オーケストラのための小品数曲、ピアノ協奏曲1曲(第一楽章の第一主題のみ)、現代音楽風の不協和音の曲1・2曲ニューミュージック風の歌10曲程度。しかし、これらの曲を発表するわけにはいかない。ユング派心理学という忌まわしい集団が、芸術の門外漢のくせに芸術を分かったような顔をし、芸術創造の源泉を突きとめたのだと豪語して、芸術の創造の助力をするようなふりをして、邪魔しようとする。また、芸術家を自称する偽者が、ユング心理学に立脚して作品を作り上げたとしている。そして、真の芸術を押しのけている。このような状況では、芸術はやがて息絶えてしまう。それに抗議するためにも、僕は、僕が作り上げた作品を発表することなく、ひとりで墓場まで持っていくことにする。小説1本(アウトラインのみ)も同じだ。いわば抗議の焼身自殺みたいなものだ。どうもユング派に付け狙われているらしいと感じたときから、曲を作らないようにしている。自然に湧いてくるものは仕方がない。しかし、それも忘れることにしている。こんなことがなかったら、もっとたくさんの曲を作れただろう。

 20歳前後のときに、よく似た曲を2曲作った。やや曲調は似ているが、表現するものは全く違う。どちらもオーケストラによる間奏部分が重要になっていて、間奏が結構長い。ひとつはバリトンに歌ってほしい。愛の成就、もしくは愛に至る道程がテーマである。もうひとつは子守唄風である。アルトかソプラノに歌ってほしい。世界中の、目に涙をいっぱいためている子どもに贈りたい。でも、僕はこれらの曲を贈ることができないのは、先ほど述べたとおりである。


ごめんね。おじさん、歌ってあげることができないのだよ。そのかわり、誰かに、ドボルザークの「わが母の教えたまいし歌」を歌ってもらってから、お休み。ちょっと難しいかもしれないけど。おじさんはね、ドボルザークのおじさんには、とてもかなわないのだよ。

請求書

請求書

 あまりにも悪質である。損害賠償請求額を、下記の通り引き上げる。早急に支払え。

A大学O教授(詐欺事件に加担、侮辱罪)                             200万円
A大学K教授(詐欺事件の実行犯として)                             1000万円
河合敏雄Toshio Kawai(京都大学教授)(正犯の相続人)                  2000万円
氏原寛Hiroshi Ujihara(元大阪市立大学教授)(正犯)                2000万円
以上

2013年11月3日日曜日

佇立する安寿

佇立する安寿

 自我が芽生え、次第に力をつけ成長していこうとするとき、目の前に巨大な障壁があることを認め、目を見張る。そして愕然とする。この障壁、自分ひとりの力では、とても乗り越えられそうにない。どうしても己れの分身に越えてもらわねばならぬ。その場合、自分は生きていることができない。
 「二人の子供が話を三郎に立聞きされて、その晩恐ろしい夢を見たときから安寿の様子がひどく変わってきた。顔には引き締まったような表情があって、眉の根には皺が寄り、目ははるかに遠いところを見つめている。そして物を言わない。」
 安寿は、計画を断行する。「安寿はけさも毫光のさすような喜びを額にたたえて、大きい目をかがやかしている。しかし弟の詞には答えない。ただ引き合っている手に力を入れただけである。」「姉は胸に秘密を蓄え、弟は憂えばかりを抱いているので、とかく受け応えが出来ずに、話は水が砂に沁み込むようにとぎれてしまう。」
 「安寿はそこに立って、南の方をじっと見ている。目は、石浦を経て由良の港に注ぐ大雲川の上流をたどって、一里ばかり隔った川向いに、こんもりと茂った木立ちの中から、塔の尖の見える中山に止まった。そして『厨子王や』と弟を呼びかけた。『わたしが久しい前から考えごとをしていて、お前ともいつものように話をしないのを、変だと思っていたでしょうね。もうきょうは柴なんぞは苅らなくてもいいから、わたしの言うことをよくお聞き。」

   ― ― ― ―

わたしが死んでも、わたしの魂は厨子王に乗り移る。そして、最後まで厨子王を守り、やがて、あの邪悪な山椒大夫の一家を訴え出て懲らしめてやるのだ。

さあ、厨子王。ここですべてをお前にバトンタッチするよ。だから厨子王、勇気をもってこれをやり遂げなさい。

 自分はもうこの世にいてはいけないのだ、と覚った少女は、わずかに残された時間を「泉の畔に立って」過ごす。名もない草花に目をやり、木々の緑を眺め、大空を見上げ、鳥の声に耳を澄ます。作者・鷗外の慟哭が聞こえてきそうである。それでも外は、ごくあっさりと、素っ気ないくらいに、「幸いにきょうはこの方角の山で木を樵る人がないと見えて、坂道に立って時を過す安寿を見とがめるものもなかった」と書いているだけである。
 
 森鷗外は、日本で最高の文学者である。
  (森鷗外『山椒大夫』から)

2013年11月2日土曜日

心の映画

心の映画

 『心の旅路』は、僕にとって心の映画と言ってもよいだろう。それからチャップリンの映画も、そう呼んでよさそうである。『心の旅路』を初めて観たのは、小学生の高学年か中学生ぐらいのときだった。NHKが放送していたのである。それからずっと心に残っていて、もう一度観たいと願っていた。DVDのない時代である。そして、数年後にNHKが再び放送してくれた。それから、また十数年後に、今度は映画館で観ることができた。
 白黒の古い映画である。壮大なメロドラマというのが大方の受けとめ方であるようである。しかし、この映画は単なるメロドラマではないと思う。
 余計なことかもしれないが、この映画のあらすじを以下に記しておく。この物語を短く要約するのはとても難しい。紆余曲折があって、ストーリーが複雑だからである。しかも古い記憶に頼らなければならないので、細部において、間違いがあるかもしれない。

 第1次大戦中、男の近くで爆弾が炸裂し、男は記憶喪失になった。病院に収容されていた男は、ある夜、病院を抜け出した。煙草を買おうと立ち寄った煙草屋で、ポーラという娘から、追手が来ていることを教えられる。男とポーラは手を取り合って逃げ、ふたりで田舎で暮らすことにする。男の名前を、仮にスミスと名付けた。そして夢のような月日が流れた。スミスは文筆業を仕事にする。記憶喪失になる前は作家だったかもしれないね、とふたりは話し合った。
 新聞社から仕事の依頼があり、スミスはリバプールへ出かけた。新聞社へ行く途中、スミスは車と接触して路上に倒れ、頭を打った。その時、スミスは失くしていた記憶を取り戻し、かわりにポーラと一緒に暮らしていた記憶喪失期間中の夢のような記憶を失ったのである。つまり今度は、ポーラやポーラと暮らしていた家のことなどが、すっかり分からなくなったのである。
 スミスは、高名な実業家の跡取りだった。数日前に父が亡くなっていて、スミスは父の会社の経営を引き継いだ。スミスという名前も忘れてしまっていて、ここから本名になっている。そして、てきぱきとした有能な実業家になった。画面に映る秘書の顔を見て驚く。ポーラである。ポーラは、行方不明になったスミスが、記憶を取り戻して著名な実業家になっていることを新聞で知った。そして、会社が秘書を募集していたので、名前を変えて応募していたのである。スミスは、秘書のポーラが誰なのか、分からない。けれども、とても信頼している。
 そのうちに、スミスの縁談がまとまった。ポーラが、スミスとの愛の生活のことを打ち明けようかどうしようかと思い悩む日々が続く。そうしているうちに、スミスの婚約者は、スミスと一緒にいてもスミスが、自分ではなくどこか遠いところを見つめているのに気がつく。その表情から、ここに愛はないことを覚った婚約者は、スミスから去って行く。
 月日が流れた。スミスは、今度はポーラに求婚した。ただし、これは愛するが故のプロポーズではなく、実業家としてのスミスの良きパートナーになってほしいという意味の求婚だった。ここでもポーラは傷つき思い悩むが、結局受け入れることにする。ふたりの結婚生活は、愛のない、ただ実利だけのための結婚生活だった。そのうち、スミスは国会議員にもなり、スミスとポーラは、理想的な夫婦と世間に思われているが、実際には形式だけの二人だった。
 そうしているうちに、二人が出会った煙草屋のある町のスミスの会社で、ストライキが起きた。スミスは、社長としてストを収束させるために出かける。無事ストを収めたスミスは、町を歩いている。ふと足を止めて、一緒にいた社員に、
「あの角のところに煙草屋があるから、買ってくる。」
と言う。
「社長、この町は初めてではないのですか?」
「ああ。初めてだよ。」
「それなら、社長。どうしてあの角に煙草屋があることを、ご存じなのですか?」
このような会話を通じて、少しずつスミスの記憶が頭をもたげてきたようである。あの交通事故以来、何の鍵だか分からないながらも、いつも持っている鍵をじっと見つめる。交通事故の日に宿泊していたホテルに足を向ける。そして、自分の名前、当時住んでいた家などを教えてもらう。
そのとき、ポーラもスミスの行動を人から教えてもらって、ふたりの思い出の家へと足を急がせている。
 スミスは、ポーラと暮らしていた家の前に立っている。庭には花が咲き、小川が近くを流れている。おそるおそるあの交通事故以来、いつも持っている鍵を扉のカギ穴に差し込む。ぴったりと合った。ドアを開く。その時、駆けつけてきたポーラが、「スミスィ」と叫ぶ。スミスは振り返って微笑み、「ポーラ」と答える。ふたりは駆け寄り、抱き合う。

 以上が、この映画の梗概である。確かに、メロドラマと評されても仕方がないかもしれない。
 スミスの人格は、てきぱきとした実業家の人格から、どこか夢見るような文筆家の人格へと移行したのだろうか。それとも、両者は統合したのだろうか。

 もうひとつ、挿入曲がとても好きな映画がある。『男はつらいよ』、寅さんシリーズである。おそらく、山本直純の作曲だろう。寅さんが振られるマドンナが、失意や悲しみから新しい愛を見つけて歩みだすときに、決まってこの音楽が流れる。僕は、この曲を聞きたいために、何度も何度も映画館に足を運んだのだろうか。魂の匂い、という表現はおかしいだろうか。魂の揺りかごに揺られているような感じ、とでも言おうか。


2013年11月1日金曜日

心の中の女性像

削除した。
ユング心理学のアニマの元型について、厳密には女性像ではないという理解に達したので、この記事をあげておく必要がなくなった。
アニマは女性像ではない
http://gorom2.blogspot.my/2016/01/blog-post.html