今日も、やはりおかしな文章表示だ。何者が邪魔しているのだろう。
空中の楼閣で相撲をとる
Aというユンギアン(Jungian)がいたとしよう。
Aは、B子さんという女性に愛を告白する。しかし
、この愛の告白は、Aの心の中の女性像(ユング
心理学では、アニマ(anima)と呼ばれる)をB
子さんに投げかけて、B子さんその人ではなく、暖
かい血の通っている生身のB子さんその人ではなく
、Aの心の中の女性像に愛を告白しているのであ
る。本質的・根本的には、AはB子さんとの心の
交流が全くないのである。ユンギアンとは、おしなべ
て愛を知らない人ばかりである。
このような他者との関わりの仕方は、ユング派に
おいては、何もアニマの元型だけに限らず、影
(shadow)などの元型についても同様のことが
生じている。また、人と人とのコミュニケーションだけ
ではない。人類の歴史や社会や文化や芸術を見
るときにも、その見方のおいて上述のようなことに
類することが起きているのである。つまり、
Jungianが自分勝手に作り上げた空中の楼
閣に土俵を拵えて、その土俵の上で相撲をとって
いるのである。空中の楼閣とは、集合的無意識と
か元型とかのユング心理学における、ありもしない
概念のことである(「心の中の女性像は魂ではな
い」2013年11月24日付参照)。このような空
中の楼閣は、時が経てば、やがて幻のように消え
失せていってしまうことだろう。
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