2014年2月27日木曜日

空中の楼閣で相撲をとる

今日も、やはりおかしな文章表示だ。何者が邪魔しているのだろう。


空中の楼閣で相撲をとる


 Aというユンギアン(Jungian)がいたとしよう。

Aは、B子さんという女性に愛を告白する。しかし

、この愛の告白は、Aの心の中の女性像(ユング

心理学では、アニマ(anima)と呼ばれる)をB

子さんに投げかけて、B子さんその人ではなく、暖

かい血の通っている生身のB子さんその人ではなく

、Aの心の中の女性像に愛を告白しているのであ

る。本質的・根本的には、AはB子さんとの心の

交流が全くないのである。ユンギアンとは、おしなべ

て愛を知らない人ばかりである。
 このような他者との関わりの仕方は、ユング派に

おいては、何もアニマの元型だけに限らず、影

(shadow)などの元型についても同様のことが

生じている。また、人と人とのコミュニケーションだけ

ではない。人類の歴史や社会や文化や芸術を見

るときにも、その見方のおいて上述のようなことに

類することが起きているのである。つまり、

Jungianが自分勝手に作り上げた空中の楼

閣に土俵を拵えて、その土俵の上で相撲をとって

いるのである。空中の楼閣とは、集合的無意識と

か元型とかのユング心理学における、ありもしない

概念のことである(「心の中の女性像は魂ではな

い」2013年11月24日付参照)。このような空

中の楼閣は、時が経てば、やがて幻のように消え

失せていってしまうことだろう。

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