2013年10月25日金曜日

いずれ悪魔は自滅するだろう

いずれ悪魔は自滅するだろう

 昨日あげた「模造品」の冒頭箇所が、手違いか何かで消えていた。訂正する。

 これまでの歴史において、悪魔は時々その姿を現してきていたようである。ところが、やはり悪魔は、自ら進んで滅んでいたにちがいない。そうならなければ、もうとっくの昔に、世界は悪魔の天下になっていただろうからである。
 悪魔というものは、ちゃんと自分で滅んでいってくれる手の掛らないやつらなのだから、自然の成り行きに任せておけばいいではないか、ということにはならないと思う。悪魔の自滅には前提条件があるのである。神と人とが最善を尽くして悪魔と戦い、その戦いがクライマックスに達した時に、悪魔は突然自滅していくのである。ユング派という不思議な、これまで見たこともないような悪魔を目にして、ただ手を こまねいていてはいけないと思う。どうか悪魔を打ちのめすために力を尽くしてほしい。

2013年10月24日木曜日

模造品

模造品

 シェイクスピアやドストエフスキーが現代に生まれ変わって、その作品を発表したとしても、ベストセラー作家にはなれないと思う。同時代人が、同時代の芸術を正当に評価することは極めて困難である。ヘルマン・ヘッセは、ノーベル賞を受賞したが、ヘッセなんか現代のわれわれには何の意味もない。
 大江健三郎はノーベル文学賞を受賞したが、それとほぼ同じ時期にユングファンになったのではないかと考えている。ユングのファンになってから、大江は碌な小説を書けなくなった。評論めいたものや講演ばかり行っている。気の毒なことに、創造の泉が枯れてしまったのである。
 これとは対照的に、まがい物を量産している輩がいる。村上春樹と宮崎駿である。不思議なことに、偽物が飛ぶように売れるのである。ブランド品そのものよりも、ブランド品の模造品の方がはるかによく売れるのでは、暗澹たる気分にもなろうというものである。宮崎のほうは、引退するようであるけれども。

 村上春樹の作品が売れれば売れるほど、その分、真の芸術家の作品が市場から締め出されることになる。恥を知れ。村上春樹。

2013年10月23日水曜日

悪魔の代弁者

悪魔の代弁者

 また、戦略的なミスを犯したかもしれない。今度は比較的、軽微なものであるようだが。あーあ、やはり木曽義仲や楠正成にはなれないのだろうか。
 悪魔の代弁者というものがある。次のURLを参照。
 悪魔の代弁者に、デエモンを採用した。ところが、こいつは、碌に仕事もしないで居眠りばっかりしたり鼻毛を抜いてばかりいやがる。おい、こら。デエモン。そんな体たらくではな、お前の報酬を引き下げるぞ。馬鹿野郎。
 やっぱり、諸葛亮のほうがよかったかな。

 まだ、民主党政権の時期ならば、少しは脈があったかもしれない。実際、民主党政権は「心のノート」の予算を認めなかった。安倍晋太郎、違ったかな、安倍しぬぞう、これでもない、安倍しんぞう、ああこれだこれだ。どのキーを押し間違えたのかな。安倍晋三政権になって復活した。世界のどこかの国で、このような情けない、恥ずかしいことをしている国があるのだろうか。国中の子ども全員を、カウンセリングしてやろうというのである。僕はね、自分が日本人だと言うのが恥ずかしくてたまらない。
 そもそも、一度、総理大臣の椅子を放り出した人物が、ふたたび首相の椅子に座るということ自体、驚天動地のことである。引きずりおろされたわけではない。その場合のほうが、まだ可能性があってもよい。例えばアメリカで、任期途中に大統領の椅子を投げだしたら、その人物は二度と大統領の座に就くことはないだろう。それが当たり前である。一体、日本はどうなっているのか。おい、安倍川。まずい餅だなあ。二度焼きなんかしているからか?なんで、焼き直ししなければならないのだ?捨ててしまえばいいではないか。どんな顔して総理の椅子に座っているのか。鬱病だという噂は聞いていたけど、こんどは躁病になったのか。

 いつ交通事故にあうか、妙な病気に罹るか分かったものではない。ヤクザやマフィアよりも恐ろしい。今のところは大丈夫だ。ただ、ここ2・3週間は極めて体調が悪い。このサイトが、妙な途切れ方をしたら、妨害されたのだと考えてもらって構わない。

2013年10月22日火曜日

威しによって手に入れることができるか(旧版から)

威しによって手に入れることができるか(旧版から)

 村上春樹が寝言を言っておるぞ(きっと)。
「ノーベル賞の選考委員どもは、何をグズグズしておるんじゃ。早う、わいにノーベル文学賞をよこしてけつからんかい。ほんまに愚図なやっちゃのう。ひとつ、どついたろか。」「わいはもう受賞記念のスピーチの原稿、とっくの昔に書いてしまったぞ。本棚の中で埃かぶっとるわい、アホンダラ。」(村上春樹はどこに住んでいるのだろう。河合の大ファンでも関西弁ではないのかな?)
 村上春樹は、喉から手が出るほど欲しがっているだろうが、こんなやつにノーベル賞をやってはいけない。すべてノーベル賞の選考委員のみなさんの、威しに屈しない良識にかかっているのであります。
 ユング派の特徴は、話し合いや議論によって事を成就しようとするのではない。思わせぶりな身振りや素振りによって、人を自分の思い通りに動かそうとする。その意味で、反民主主義であり、反自由主義である。河合隼雄が文化庁長官になったり、京都大学教育学部教授になったのも、言葉に表さない威嚇によるものだったのかもしれない。何しろそれが、ユング派の特徴なのだから。とすると、河合の態度による威しの相手は、文化庁長官就任当時の首相は小泉純一郎(任命権者が首相ではなく文相ならば、遠山某あたり。そう言えば、小泉は池田大作と同様、レイプ魔だった。ただ、小泉の場合は池田大作と違って、その疑惑が明確でないきらいはあるが。ただ、小泉のレイプの件は、河合の言葉にならない威しの材料である可能性は低いと思う。それとも河合隼雄・池田大作・小泉純一郎のように犯罪者同士は、お互いに共鳴するのだろうか)、京大教育学部の場合は、おそらく教授会あたりだろう(京都大学は、やはり三流大学である)。河合は口に出して、こうなりたいと言うことは、まずなかろう。口には出さぬ無言の圧力によって、己れの出世欲など俗物根性丸出しの欲望を満足しようとしていたのである。新聞報道によると、村上春樹は、最近、北欧のどこかの国で講演を行ったそうである。北欧くんだりまで、よくも行ったものだ。間抜け面をぶら下げて。ハハハハハ。
 ノーベル賞というものは、威しや自己宣伝で受賞者を決定するのだろうか。アウンサン・スー・チーやマザーテレサが威しや自己宣伝で受賞したとは、とても思えないのだが。そうだ、大江健三郎だ。おい、大江。おまえ威したのか、威していねえのか。いったい、どっちなんだ。うむ?何だって?もっと、はっきり言ってくれないかなあ。え?なになに?おらも河合ファンになっちまっただからなあ、だと?この野郎、訳の分からねえことをぬかしやがって。

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2013年10月21日月曜日

K教授へのメール

 大学院を退学した直後に、わざわざA町まで出向いて抗議しました。その際、僕が募集要項をよく見ていなかったからだと言っておられました。しかし、それは間違っています。確かに募集要項を見てはいませんでした。募集要項の該当箇所は、当然のことながら担当教授の意向と考え方が反映されたものです。ということは、募集要項よりも当該科目の教授の言葉・話のほうが信頼性が高いのです。教授の話を鵜呑みにするのは当たり前ではありませんか。それを、募集要項をよく見ていなかったと抗弁するのは、ヤクザの言いががり・開き直りに等しいと思います。

(このメールは2日前に送った。)

2013年10月18日金曜日

那須与一、将に射むとす

(このサイトのブログアーカイブでタイトルが並んでいますが、下から読んでいただいたほうがよろしいかと思います。)


那須与一、将に射むとす

 どうやら、大きな戦略的ミスを犯してしまったようである。今この時点では、ターゲットをユング心理学のみに絞るべきであった。それを欲張りすぎた。そのために、真のターゲットに対する攻撃の矛先が、鈍くなってしまったのである。やはり僕は、源九郎義経や諸葛孔明にはなれそうもない。せいぜい、石田三成というところか。だから、早く僕よりも有能な人が出てきてほしいのである。実はここで、現代医学に関するあることを書いた。しかし、これは削除して(=コピーして、しまっておいて)またの機会に、ということにする。

 このWebサイトは世界中の方々に御覧いただいているようなので、全世界の人々に訴える。どうかユング派を撲滅していただきたい。この感染症は、ドイツで生まれ(正確にはスイスと言うべきかもしれないが、CG・ユングはドイツ人であるから、このようにしておく)、アメリカに広がり、日本に上陸したかと思うと、瞬く間に多くの人が感染してしまった。この感染症の終息に力を尽くしていただきたい(現代医学を憎む僕としては、このような表現を使いたくなかった)。

ユング心理学をごみ箱に捨ててしまうと、心をポカポカと温める目に見えない懐炉(「ユングは新しい福音になりうるか」参照)も捨てなければならないではないか、とお考えの人にために代替案を提案したい。ヨガや座禅や自律訓練法である。これらによっても、目に見えない懐炉は得られるのではないかと思う。

 「ユングは新しい福音になりうるか」は、僕の3本目の論文になるはずだった。ところが、奇妙なことが立て続けに起きた。掲載してあげようと言ってくれた雑誌が廃刊になった。他の雑誌では、編集者が行方不明になった。何か、言論統制のようなものを感じた。

 ここで河合隼雄(Hayao Kawai)のウソツキ退職について、もう一度整理しておこう。河合は奈良の勤務高校在職中に、昼間の京都大学大学院に進学した。大学院進学にあたっては、次のように申告しなければ認めてはもらえないだろう。「大学院で習得した知識やスキルを、将来本校の生徒指導等に役立てたい」と。勤務高校は、しぶしぶと許可した。「しぶしぶと」というのは、河合が勤務しながら昼間の大学院に通学することによって、担任業務、校務分掌、生徒指導、部活動指導などに支障が出るからである。ただでさえ忙しい他の同僚に穴埋めしてもらわなければならない。このようにして、給料ももらいながら大学院に通ったわけであるが、修了するやいなや高校を退職してしまった。そして、天理大学教授になった。だから、詐欺だと言っているのである。さらに、天理大学においても、同じ詐欺を繰り返している。この場合は、大学院進学ではなく、外国留学であった。こうして、京都大学教授になった。勤務高校が河合を告発しなかったのは、おそらくその管理者が、お人好しのボンクラだったからである。そのために河合は味をしめて、次の天理大学でも同じ詐欺事件を起こしたではないか。河合の犯罪には常習性がある。
 以上の事柄は、公になっている情報から読み取ったにすぎない。また、勤務高校を当初、天理高校と考えていたが、どうやら違うらしい。奈良育英高校が正しいのかもしれない。いずれにせよ、ある分野の第一人者であり、人気作家も顔負けするほどの売れっ子でもあり、文化庁長官にも就任した人物の勤務高校名がはっきりしないのは不可解である。河合が隠そうとしていたからである。そして、高校の教え子たちも、河合を嫌っていたからでもあるだろう。河合の教え子は、数千人いるだろう。高等学校だから、3年間に数百人の生徒を教えることになる。河合が、タレント以上の有名人になったにもかかわらず、教え子の誰ひとりとして河合の思い出話を語っていないのである。余程、冷酷で人間味のない温かみのない数学教師だったのだろう。後年、河合が悪魔になる素地は十分にあったわけである。
 このような人物に、道徳の副教材「心のノート」を作成させるとは何ごとか。
 日本の小・中・高の教員たちは、生徒が転んだとき、手を差し伸べようとする。それが、全人格的なものであるとき、自分の持っているものすべてを賭したものであるとき、そしてそれが生徒の心に伝わったとき、大抵の生徒は自ら起き上がろうとする。「さあ、自分の力で立ち上がりなさい」と言うだけでよいのである。その後は、ただじっと見守っているだけでよい。細々としたことを、教示する必要もあまりない。但し、これをカウンセリングをもって行おうとしては絶対にいけない。どんなに低姿勢、優しさを装おうとしても、相手はその傲慢さ・不遜さを敏感に感じ取ってしまうものである。

 9月にアップした「昔話」の中に、実は次のような箇所があった。

失意や悲しみに裏打ちされながらも、遙かな憧れに満ちた曲を現代のシンガーソングライターが書いている。大貫妙子の「黒のクレール」である。

 僕はこの文章を抹消した。大貫妙子の曲について調べていると、谷川俊太郎がある曲の詞を提供しているのが分かったからである。「黒のクレール」ではない。「黒のクレール」は、大貫妙子の作詞作曲になるものである。そこで迷ってしまった、というわけである。しかし、谷川俊太郎がある曲の詞を提供していたからといって、大貫妙子がユングファン・河合ファンであるとは限らない。そして仮に、大貫妙子がユングファンであったとしても、少なくとも「黒のクレール」を書いた頃には、まだユングファンにはなっていなかったにちがいない。このように考え直して、やはりあげておくことにする。

“瑠璃色の地球”は、松田聖子や中森明菜が歌っても、大ヒットしなかった。その代わり、合唱曲に編曲されてよく歌われているようである。この曲はすばらしい。歌詞では、「朝陽が水平線から 光の矢を放ち」というところが、うまいと思う。そして、何と言っても、メロディがすばらしい。たぶん作曲者は、意識していなかったのではないかと思うが、慰めに満ちたメロディである。その力は、モーツァルトの協奏交響曲の第2楽章に相当するほどだと思う。ちょっと褒めすぎたかな。

 「心のノート」には、愛がない。これでは、子どもたちに残酷すぎるではないか。

 さてと、気をとりなおして、ユング派攻撃の第二波にとりかからなければならない(旧版から数えると、第三波になるか)。

 矢ごろ少し遠かりければ、海の中一段ばかり打ち入れたりけり。
南無八幡大菩薩、願はくはこの風静め給へ。

 光の矢ではなく、黄金の矢をつがえる。この矢、ターゲットの心臓を射抜くだろうか。

2013年10月11日金曜日

Update to this Website(延期します)

Update to this website is postponed at least 8 days.

本日、このサイトのコンテンツを更新する予定でしたが、10月18日以降に延期します。